女坑主
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仰言《おっしゃ》る

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)新張|眉香子《みかこ》は

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)見よ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
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「ホホホ。つまりエチオピアへお出でになりたいからダイナマイトをくれって仰言《おっしゃ》るんですね。お易《やす》い御用ですわ。ホホホ」
 新張《にいばり》炭坑の女坑主、新張|眉香子《みかこ》は、軽く朗らかに笑った。
 初期の銀幕スターから一躍、筑豊の炭坑王と呼ばれた新張|琢磨《たくま》の第二号に出世し、間もなく一号を見倒して本妻に直ると、今度は主人琢磨の急死に遭い、そのまま前科者二千余人の元締ともいうべき炭坑王の荒稼ぎを引き継いで、ガッタリとも言わせずにいるというしたたか者の新張眉香子は、さすがに顔色一つかえないまま、こうした無鉄砲な要求を即座に引き受けたのであった。
 四十とはトテモ見えない襟化粧、引眉、口紅、パッチリと女だてらのお召の丹前に櫛巻頭。白い素足と真紅のスリッパにゴチック式の豪華を極めた応接間をモノともせぬ勝気さを見せて、これも炭坑王の奢《おご》りを見せた真綿入|緞子《どんす》の肘掛椅子に、白い豊満な肉体を深々と埋めている。その睫《まつげ》の長い二重瞼の蔭から、黒い大きな瞳をジイッと据えて微笑された相手の青年は、その素晴らしい度胸と妖気に呑まれて恍惚《こうこつ》となってしまったらしい。
 みすぼらしい茶の背広に、間に合わせらしい不調和な赤ネクタイを締めていながらも、それこそ新劇の二枚目かと思われる、生白い貴公子然たる眼鼻立の青年であったが、それが今更のようにビックリして純真らしい、茶色の瞳《め》を大きく見開き、薄い、小さな唇をポカンと開いた姿は、一層ういういしい子供らしい恰好に見えた。
「御承知して下さる」
 と半ば言いさして、青年は唇を戦《おのの》かした。
「まあ……エチオピアへでも行こうと仰言るのに度胸が御座んせんねえ。失礼ですけど……ホホホホ」
 青年は忽《たちま》ち颯《さっ》と赤くなった。そうしてまた急に青白くなって、房々した頭髪の下に隠れている白い額にニジンダ生汗《あせ》を、平手でジックリと拭い上げた。
「ホントニ……下さる……」
「ええ、ええ。差し上げると申しましたら、必ず差し上げますわ。わたくしも新張眉香子です……ですけど、貴方《あなた》ホントにエチオピアへいらっしゃるおつもり?」
「エッ……何故ですか」
「何故ってホントにいらっしゃるおつもりなら差し上げますわ。何でもない事ですから……イクラでも……わたくしモトからエチオピア贔屓《びいき》ですから。私が男子《おとこ》なら自分で行きたいくらいに思っているんですからね」
「……ホ……ホントに……行くのです」
 青年の瞳が熱意に輝いた。
 眉香子の眼も同じ程度の熱意を輝き返した。青んじた襟足でしなやかに一つうなずいて見せながら、椅子の中から乗り出した。
「お尋ねさして下さいましね。どうしてソンナ事をお思い立ちになったんですの? 貴方お一人?……お仲間は?……」
 青年はギクンとしたらしいが、やがてまた、冷やかに笑ってみせた。やっと度胸がきまったらしく、ソッと溜息をした。
「むろん僕一人じゃありません。十二人ばかりの同志があります」
「まあ十二人……大変ですわねえ。そんなに大勢でエチオピアまでお出でが出来ますかしら。第一危険な爆薬《マイト》なんかお持ちになって、内地を脱け出すようなことがお出来になりまして?……万一のことがありますと、わたくしの方でも困りますがねえ。何処から出た爆薬《ハコ》だってことは直ぐに番号でわかるんですからねえ」
 青年は深々と念入りにうなずいた。それくらいの事は百々心得ているという風に……それから眼の前の冷たくなった紅茶に、角砂糖を二つとも沈めた。
「その点は決して御心配に及びません。こうなれば隠す必要がありませんから白状致しますが、実を申しますと吾々同志の中でも五人だけは政府の役人が混っているんです」
「まあ政府のお役人が……どうして……」
「こうなんです。お聞き下さい。吾々十二人は皆、東京の政治結社、東亜会から学費を貰って学校を卒業させて貰った者ばかりですが、その中で五人は皆、政府嘱託の軍事探偵になって、主としてアフガニスタン、ベルジスタン、ペルシア、アラビア方面からスエズ、東アフリカ方面の状態を探っていたものです。もっとも私はこの二、三年、ポートサイドの雑貨店で働きまして連絡係をやっていたものですが」
「まあ。そんな処まで日本政府の手が行き届いておりますかねえ」
「ええ
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