いくらか楽なのでその方にして、「焼けあとの二つの死骸」を最初に持って来て又十枚ばかり書きますと、とても骨が折れて筋が運べない上に、あとの説明が私の力ではどうしてもダラケそうに思われます。そのうちにもう頭が疲れて、坐っている足が痛くなりましたので、「何でもいい、とにかく出して見よう」という気になって、最初の思い付き通りに因縁話から書き直し初めました。
そのうちに風邪で寝たり何かして案外早く出来上りましたから、二度ばかり読み返すとすぐに妻に渡して、これを博文館のこれこれへこんな風にして出しておけと云ったまま仕事に出かけました。そうして二日経って帰って来て、妻に「出したか」とききますと、「ヘエ。送りました。あれは何ですか」とあまり気の乗らない尋ね方をします。「読んだのか」「ヘエ」「面白かったか」「ヘエ……何だかわかりませんけど、あんな気味のわるいことが本当にあるものでしょうか」「どうだか知らん。返送料は入れたか」「ヘエ」こうした気のない会話のうちに、私は妻の表情の中《うち》から失望に価する多くの点を見出しました。こんな方面にあまり趣味を持たない、何気もないものの受けた感じが一番公平なものだということを私は兼ねてから聞いています。しかし些《すくな》くとも「あれが当選したら」位の挨拶はするだろうと予期していたのに、まるで懸賞募集に応じたものかどうかすら知らない程度の無表情さで、あとは留守中の報告に移りました。私はウンザリしました。そうしてあの一篇は単純な読み物としても落第ではないかと心配し初めました。「何故あの事実をもっと突込んで研究して見なかったろう。たとい興味は薄らいでも真実味はきっと深まったに違いなかったろうに」という後悔をその後二三度繰り返したように思います。
ところがこの一週間ばかり旅行して昨十日夜に帰って来ますと、私の机の上に森下氏のお手紙と新青年の六月増大号と、「アヤカシノゴセイコウヲシュクス○トシ○タミ○フミ○チヨ」という岡山発の電報がほかの手紙とゴッチャになって乗っています。電報は義弟のF学士と妹たちで、高知の病院に赴任の途中岡山で新青年を見て打ったものに違いありません。私はまだ何も見ないうちにヒヤリとさせられました。
それから諸大家の御批評を読み初めましたが、間もなく私は又この篇を書くに就いて飛んでもない了簡違いをやっていることに気が付きました。しか
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