したので、一知は見る見る真青になって、唇をワナワナと震わした。しかしその時にフッと気を変えた草川巡査は、
「ウン。人目に付くと五月蠅《うるさい》からね」
 と何気なく云い棄てて露っぽい小径の笹の間を蹴分《けわ》け蹴分け急いで行った。

 元来この谷郷《たにさと》村は、こうした山奥に在り勝ちな、一村|挙《こぞ》って一家といったような、極めて平和な村だったので、高文《こうぶん》の試験準備をしている草川巡査は最初、大喜びで赴任したものであったが、そのうちに彼の竹を割ったような性格がだんだんと理解されて来るにつれて、村の者から無上の信用と尊敬を受けるようになった。それに連れて村の納税や、衛生の成績がグングン良くなるばかりでなく、以前は山向うの隣県へ逃込もうとして、よくこの村を通過していた前科者などが、今では草川巡査の眼が光っているためにチットモ通らなくなった……という噂まで立つようになっていた。そこへ起った今度の事件なので、草川巡査は最初からチョット一つタタキノメされたような感じで、一種異様な興奮――緊張味を感じているのであった。
 しかも草川巡査を興奮させ緊張させた原因は、単にそれだけではな
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