かったが、それでも一知は何喰わぬ顔をして明け暮れ器械イジリに熱中して、マユミなんか問題にしないような態度を示していた。それが思い通りに図星に当り過ぎる位当ったので、その時の一知の喜びようというものは躍上《おどりあが》りたい位であった。そうしてとうとう思いに堪えかねて、式の日取が待ち切れずに押かけて行ったものであったが、さて行ってみると案外にも何一つとして想像していたような幸福が得られないのに驚いた。のみならずそこには想像以上の悩ましい地獄と、想像以下の浅ましい生活が待っている事が判明《わか》ったので、一知は実に失恋した以上に深刻な打撃にタタキ付けられてしまったのであった。
 深良屋敷の老夫婦は一知が予想していた以上に嫉妬深かった。その中《うち》でもオナリ婆さんの嫉妬《やきもち》振りは正気の沙汰とは思えない位で、乱暴にも一知が来た晩からマユミと同じ部屋に寝る事を絶対に許さなかった。
 同時に老人夫婦は極端に勘定高かった。マユミの婿に来る者が無い。後を継がせる子孫が無い。私達夫婦はこの上もない不幸者だとか何とか、あれほど村中の人々に愚痴を並べまわっていた老夫婦は、そうした悩みを一知が来ると同時に忘れてしまったらしく、一家の経済の足しにならないような養子は、養子としての資格が無い……なぞいう事を公々然と一知の親類の前で宣言した。もちろんラジオだけは最初からの約束があるので、その当座の中《うち》は何とも云わなかったが、それでも何も知らない娘のマユミが珍らしさの余りに、一知が操《あやつ》っているラジオを覗きに行ったりするのが、オナリ婆さんの嫉妬をタマラなく刺戟したらしかった。いつも目敏《めざと》くマユミを監視して、一知に聞えよがしに訓戒した。
 ……アノ一知は貧乏者の借金持ちの子で、お前とは身分が違うのを、お前のお守《もり》と、家《うち》の田畠の番人に雇うてあるのだよ。いわばこの家《うち》の奴隷《おいはくり》で、尋常《あたりまえ》に雇うとお金を出さなければならないから、養子という事にしただけの人間だよ。だから、まだ籍も何も入れてない赤の他人で、一生懸命に働いて行くうちに、私達が死ねば、お礼にお前と、この家の財産《しんだい》を遣る口約束がしてあるだけの人間だよ。
 ……といったような言葉を日に増し手厳しく実行に移して来た。それは永年自分達夫婦が、金銭の奴隷として屈従しつくして来た不愉快さ、憂鬱さ、又は年老《としお》いてタヨリになる児《こ》を持ち得ない物淋しさ、情なさ、自烈度《じれった》さを、たまらない嫉妬心と一緒に飽く事なく新しい犠牲……若い、美しい一知に吹っかけて、どこまで行っても張合いのない……同時に世間へ持出しても絶対に通用しない自分達の誇りを満足させ、気を晴らそうとしているに相違ないのであった。そうして夜になると一知を、わざと蚊帳《かや》の無い台所に寝かし、マユミを中《なか》の間《ま》の蚊帳の中に寝させて、境目の重たい杉扉《すぎど》にガッチリと鍵をかけたものであった。するとマユミも亦《また》マユミで、何だかわからないまま両親の吩付《いいつ》けを固く守って、一知が時折コッソリと泣いて頼むのも聞かずに、一度も鍵を外してやらなかったので、一知は悩ましさの余りに昼の間じゅう死に物狂いに働いて、日が暮れると同時に前後不覚に眠るより他に自ら慰める方法が無くなった。そうして楽しみといっては唯、昼間のあいだ働いている最中だけ、マユミと一緒にいられる。どうかした場合に麦畑の中で汗ばんだ手を握り合う事が出来る位の事であった。又、勘定高い老夫婦も、そうした事を許しておけば一知が仕事に身を入れるに違いない事を想像して、黙認していたものであったが、後《のち》にはそれすらオナリ婆さんの感情に触《さわ》るらしく、自分自身で指図をするといって、朝早くから日の暮れる迄畑に出て来て、眼を皿のようにして二人の一挙一動を監視し始めたために、一知はとうとう辛抱がし切れなくなった。何度となく逃出そう逃出そうと決心しながらも、マユミへの愛情に引かされて、それも出来ないままに、毎日毎夜煩悶の極、一種の神経衰弱に陥ったのであろう。とうとう恐ろしい殺意を決するに到った。
 オナリ婆さんは老人に有り勝ちな一種の脅迫観念に囚《とら》われていたらしかった。オナリ婆さんは村中の人々が自分達の因業さを怨み抜いている事を、知り過ぎる位知っていて、夜になると必要以上に戸締りを厳重にして、一歩も外へ出ないようにしていた。その態度は明らかに村中の人々を自分の敵に廻している気持をあらわしていたもので、しかもその村人の中《うち》でも若い、元気な一知が自分の家の中に寝ているのを、さながらに敵のまわし者が入り込んで来ているかのように恐れて警戒していたのであった。
 もちろんオナリ婆さんは最初から一知に対して
前へ 次へ
全18ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング