ソンナ気持を持っていた訳ではなかったが、その中《うち》に一知の鳴すラジオの音が、次第次第に高まって行く中《うち》に、オナリ婆さんのそうした恐怖的な妄想もだんだんと大きく深刻になって来て、しまいには一知が自分達を殺す目的でラジオを担《かつ》ぎ込んだものに違いないとさえ思うようになった。
「なあ爺さん。あのラジオの音の恐ろしい事なあ。あの音のガンガン鳴り続けいる中《うち》なら、妾《わたし》たちがドンナに無残《むご》い殺されようをしても村の人には聞えやせんでなあ。一知は村の者から頼まれて、私たちを殺しに来た奴かも知れんと思うがなあ。あのラジオを止めさせん中《うち》はドウモ安心ならんと思うがなあ」
この話をマユミから洩れ聞いた一知は、即座に決心してしまった。それは一知にとって絶体絶命の最後の楽しみを奪われる宣言に外ならなかったからであった。
ちょうどその頃のこと。ラジオで三晩続けて探偵小説の講話があって、絶対に発見されない殺人の手段なぞに関する話が、色々な例を引いて放送されたので、一知は村中の人々の怨みを一人で代表しているような気持ちになって、全身を耳にして傾聴した。そうしてラジオの器械を研究する以上の熱心さを以て夜となく昼となく考え抜いた結果、これなら大丈夫と思われる一つの成案を得た。
一知は先ず勝手口の継《つ》ぎ嵌《は》め戸《ど》の、一枚の板の釘の頭に、手製の電池に残っている硫酸を注意深く塗附けて出来るだけ自然に近い状態に腐蝕させ、その板を自由自在に取外せるようにした。それから垣根用の針金を買いに行くと称して野良着のまま町へ出て、兼ねてから誤魔化《ごまか》しておいた小遣いで古い学生服を買って野良着の上から巧みに着込み、新しい藁切庖丁と安いメリヤスの襯衣《シャツ》と軍隊手袋と、安靴下を買い集めると、町外れで学生服を脱いで、マユミに遣る反物や菓子と一緒に持って帰り、取敢えず学生服を焼肥《やきごえ》と一緒に焼棄て、兇器と襯衣《シャツ》を押入の奥に隠しておいた。そうして一家が寝鎮《ねしず》まった十二時頃を見計って杉扉《すぎど》の鍵を開けたが、想像の通り、器械イジリに慣れている一知にとって、旧式の鍵を外すくらいは何でもない事であった。それから暫く奥座敷の寝息を窺って、誰も目醒めない様子を見澄してから、丸裸体《まるはだか》となって新しいメリヤスの襯衣《シャツ》に着かえ、軍隊手袋と靴下を穿《うが》ってサテ藁切庖丁を取出してみると、新しい柄《え》ですこしグラつくようである。そこで草川巡査が察したように、勝手口から外に出て、山梔《くちなし》の蔭の砥石に柄を打つけて抜けないようにすると、何度も何度も両手で振ってみて練習をしたが、中学時代に撃剣を遣っていた御蔭であったろう。スブリをかけている中《うち》に、さしもの重たい藁切庖丁が、さまで重たく感じないようになった。
それから大胆にも奥座敷の電燈を灯けて一気に兇行を遂げ、血にまみれた兇器と襯衣《シャツ》や何かを一纏めにして、兼ねてから空隙《すきま》を作っておいた堆肥の下に鍬《くわ》の柄で深々と突込み、アトをわからないように崩し塞ぎ、附近の小川で顔や頭や手足を洗い清め、そのまま寝巻を着て寝床に潜り込んだが、又気がついて起上り、敷石の上を匍《は》いながら、顔を洗った小川の縁に来て、何か痕跡が残っていないかと、星明りに透かしてみたが、その時の方が余程恐ろしくて、寝床へ這入ってからもスッカリ眼が冴えてしまった。
そんな事で神経が相当疲れていたのであろう。翌る朝、草川巡査に報告に行った時には、まさかこんな田舎の駐在所に居る屁《へ》ッポコ巡査に、看破《みやぶ》られるような心配はあるまい。又、町からドンナ名探偵が来ても、深良屋敷の恐ろしい秘密と、そこから起った自分の犯行の動機ばかりは、自分が口を割らない限り誰にも気づかれる筈はないとタカを括《くく》って、安心し切っていたものであったが、その草川巡査が、思いもかけない方向に自分を連れて行こうとしたので、何という事なしにドキンとさせられてしまった。思わず大きな声をかけたものであったが、あの時に自分でも不思議なくらいビックリしたお蔭で、自分の神経がドウカなってしまったものらしい。その草川巡査の取調べが全然予想と違った順序で、極めて、注意深く事件の核心に突込んで来るらしい事に気がつくと、もう恐ろしくて恐ろしくてたまらなくなって、飯を喰ってみてもナカナカ気持が落つかなかった。勝手口の引戸を調べられた時からしてモウ答弁がシドロモドロになって来たので、九分九厘まで運命と諦めてしまったものであった。中《なか》の間《ま》の杉戸の鍵に注意を向けられたり、老母の枕元の財布の位置まで観察されたりした時には、正直のところもうイケないと思った。取調の途中で何も知らない筈のマユミが無意味に
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