検事は子供を労《いたわ》るように立上って、草川巡査の背中を撫でた。
「サアサア。早く帰り給え。人目に附くと悪い。……自動車を呼んで上げようか」

       ―――――――――――――

[#ここから1字下げ]
 お父さん。色々御心配かけて済みません。僕は絶対的に青天白日です。村の人も僕の潔白を認めて下さると弁護士さんから聞きました、どれ位心強いかわかりません。マユミも引取って下さった由、何卒《なにとぞ》何卒よろしくお願い申上ます。この御恩は死んでも忘れません。
 弁護士さんのお話によると僕はもう近い中《うち》に無罪放免になるそうですから帰ったら直ぐに働きます。この不名誉を拭い清めて、草川巡査を見返してやります。
 ですから何もかも元の通りにして構わずに置いて下さい。蜜柑の消毒や、堆肥小舎の積みかえなぞもそのままにしておいて下さい。
 マユミにもこの事を、よく云い聞かせておいて下さい。呉々《くれぐれ》も宜《よろ》しくお頼み申します。
 どうぞ御病気を大切にして下さい。
               左様なら。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]一知より
   父上様

       ―――――――――――――

 この手紙を見た鶴木検事は、直ぐに警察署へ電話をかけて重要な指令を下した。
 その翌日のこと、事件当初の通りの係官の一行と、草川巡査と、区長と、村の青年たちの眼の前で、今まで誰も疑わなかった深良屋敷の肥料小舎の堆肥が徹底的に引っくり返されると、一番下の凝混土《コンクリート》に接する処の奥の方から、半腐りになったメリヤスの襯衣《シャツ》に包んだ、ボロボロの手袋と、靴下と、赤錆《あかさび》だらけの藁切庖丁が一梃出て来た。その三品《みしな》を新聞紙に包んで押収した係官の一行の背後姿《うしろすがた》を、区長も、青年も土のように血の気を喪《うしな》ったまま見送っていた。

 兇器は甚しく錆ていたので血痕の検出が不可能であった。
 しかしそれを突付けられた一知は思わず、
「……シマッタ……やられた……」
 と叫んで悲し気に冷笑した切り、文句なしに服罪してしまった。そうして顔色一つ変えずに兇行の顛末を白状した。
 一知は中学時代からマユミを恋していた。そうしてマユミを中心にした自分の一生涯の幸福の夢を色々と描いていたが、しかし生れ附き内気な、臆病者の一知はそんな事をオクビにも出さずに、どうかしてマユミを吾《わ》が物にしたいと明け暮れ考えまわしているだけであった。だからほかの青年達と一緒になってマユミを張りに行って、マユミやその両親達の信用を失うような軽率な事は決してしなかった。一知の幸運の獲得手段はドコまでも陰性で消極的であった。
 その一知の幸福の夢を掻き破るものは、いつもマユミの両親たちであった。一知がマユミと一緒になって世にも幸福な日を送っている幻想を描いている最中に、いつも横合いから現われて来て、その幸福を攪乱《かきみだ》し、冷笑し、罵倒し、その幻想の全体を極めて不愉快な、索然たるものにしてしまうのはマユミの父親の頑固な恰好をした禿頭《とくとう》と、母親の狼《おおかみ》みたような乱杙歯《らんぐいば》の笑い顔であった。一知はマユミの両親が極度に浅ましい吝《けち》ん坊《ぼ》であると同時に、鬼とも獣《けもの》とも譬《たと》えようのない残酷な嫉妬焼《やきもちや》きである事を、ずっと以前から予想していた。
 一知はマユミとの幸福な生活を夢想する前に、何よりも先《ま》ずマユミの両親をこの世から抹殺する手段を考えなければならなかった。
 ところでマユミの両親をこの世から抹殺する手段といったら、二人を殺すよりほかに方法が無い事は、わかり切った事実であった。しかし内気な一知は、そんな大それた事が出来ない彼自身である事を、知り過ぎる位知っていた。
 その中《うち》に一知はラジオに夢中になり始めた。それは一知が生得《うまれつき》の器械イジリが好きであったせいでもあったろうが、そのラジオの器械を製作しているうちに一知は一つの素晴らしい思い付きをした事に気付き始めた。夜遅くまでラジオを鳴らしておきさえすれば、どんなにマユミと仲よくしていても、焼餅を焼かれる心配は無いだろうと心付いた。それは全くタヨリない、愚かしい思い付きに相違なかったが、しかし、まだ若い一知にとっては天来の福音とも考えていい素敵な思い付きに相違なかった。
 それ以来一知はいよいよラジオの製作に夢中になった。礦石《こうせき》をやめて真空球にして、一球一球と次第にその感度を高め、その声を大きくする事に、たまらない興味を持つようになった。もちろん、それとても云う迄もなく、若い一知が、マユミを中心として描きつづける幸福な幻想に附随した儚《はか》ない興味みたようなものに外ならな
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