のを見ると、無理往生をさせる事にきめていたのだ。この間、区長さんがその事を問うてみたら、マユミさんが泣いて合点合点《がてんがてん》していた……などと真《まこと》しやかに云い触らす者さえ出て来た。
そんな噂に取巻かれた草川巡査は、前にも増して痩せ衰えて行った。何度行っても得るところの無い深良屋敷の空家の周囲をグルグルと巡廻したり、肥料小舎の入口にボンヤリと突立って、天井裏を見上げていたりした。又は山の中の小さな石の祠《ほこら》を引っくり返し、お狐様の穴に懐中電燈を突込んだりして、寝ても醒めても兇器の捜索に夢中になっていた。その中《うち》に九月の末になって、やっと開始された兇器捜索を目的の溜池乾《ためいけほし》で、草川巡査はあんまり夢中になり過ぎたのであろう。一人の青年の働き方が足りないといって泥だらけの平手で殴り付けたりしたので、可哀相に今度は草川巡査が発狂したという評判まで立てられるようになった。……にも拘《かか》わらず草川巡査の狂人に近い熱心な努力は近郷近在の溜池をまで残る隈なく及んだのであったが、それでも兇器らしいものすら発見出来なかったので、事件の神秘性は、いよいよ高まって行くばかりであった。
草川巡査は自分でも自分の精神状態を疑うようになった。或る晩の十時過の事。睡《ね》むられぬままに着のみ着のままで、人通りの絶えた国道に出た。
大空の星の光りは夏と違ってスッカリ澄み切っていた。そこには深良屋敷の方向から匐《は》い上って来た銀河が一すじ白々と横たわっていたが、その左右には今まで草川巡査が気付かなかった星霧《せいむ》や、星座や、星雲が、恰《あたか》も人間の運命の神秘さと、宇宙の摂理の広大不可思議を暗示するかのように……そうして草川巡査の一個人の智恵の浅薄さ、微小さを冷笑するかのようにギラギラと輝き並んでいた。その下に真黒く横たわる谷郷村の盆地を冷やかに流れ渡る夜風に背中を向けた草川巡査は、来るともなく深良屋敷に通ずる国道添いの丁字路《ていじろ》の処まで来ると突然、頭の上の天の河の近くで思い出したように星が一つスウーと飛んだ。
草川巡査は何かしらハッとして立停まった。モウ一つ飛ばないかナ……などと他愛ない事を考えながら、何の気もなく星空を見い見い歩き出すトタンに深良屋敷に通ずる道路の中央に埋めて在る平たい花崗岩《みかげいし》の第一枚目に引っかかって、物の見事にモンドリを打った。
「……アッ……痛いっ」
ジメジメした地面の上に横たおしにタタキ附けられた草川巡査は、暫くそのままで凝然《じっ》としていた。転んだ拍子に何かしらスバラシイ思付きが頭の中に閃《ひら》めいたように思ったので、それを今一度思い出すべくボンヤリと鼻の先の暗闇を凝視していた。……が……やがて、ムックリと起上るとそのまま、衣服の汚れも払わないで国道の上をスタスタと町の方へ歩き出した。半分駈け出さんばかりの前ノメリになって五里の道をヨロメキ急いで町へ出ると、前から知っている検事官舎の真夜中の門を叩いた。
熟睡していた鶴木老検事は、ようようの事で起上った。何事かと思って睡《ね》むい眼をコスリコスリ応接間に出て来たのを見ると、草川巡査は如何にも急《せ》き込んでいるらしく、挨拶も何もしないまま質問した。
「……イ……一知は……テ……手紙を書きませんでしょうか」
鶴木検事は、見違える程|窶《やつ》れて形相の変った草川巡査の顔を、茫然と凝視した。汗とホコリにまみれて、泥だらけの浴衣《ゆかた》にくるまっている哀れな姿を見上げ見下しながら、静かに頭を左右に振った。
「……書いて……おりませんでしょうね。一知は……一度も……どこへも」
検事は依然として無言のままうなずいた。そこへ夫人らしい人がお茶を酌《く》んで来たが、草川巡査は棒立ちに突立ったまま見向きもしなかった。
「……そ……それを……手紙を出すことを許して頂けませんでしょうか……一知に……」
「……誰に宛てて……書かせるのかね」
腰をかけて茶を飲んだ老検事がやっと口を利いた。
「妻のマユミは無学文盲ですから……父親の乙束区長の方へ、手紙を出してもいいと、仰言《おっしゃ》って頂きたいのですが……そうしてその手紙を検閲なさる時に、私に見せて頂きとう御座いますが……」
「ハハア。何の目的ですか……それは……」
「兇器を発見するのです」
「成る程……」
鶴木検事の顔に著しい感動の色が浮んだ。
「ウム。これは名案だ。今まで気が付かなかったが……ナカナカ君は熱心ですなあドウモ。どこから思い付いたのですか。そんな事を……」
草川巡査は答えなかった。鶴木検事の顔を正視してビクビクと咽喉《のど》を引釣らせていたが、そのままドッカリと椅子に腰を卸《おろ》すと、応接机の上に突伏してギクギクと欷歔《すすりなき》し始めた。
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