…意外千万な推測ですな」と検事は苦り切って腕を組み直した。「……只今では最後の懸案として、あの区長の動静について注意しているのですが」
「ハイ。私も署長からその指令を受けましたので十分に注意して見ましたが、区長は絶対に、そんな事の出来る人間ではありませぬ。むしろ自分の息子を養子に遣った家から補助を受けたりする事を潔しとしない、純粋な性格の男です。目下、東京で近衛の中尉をしております長男からも、その一知から金を借りない趣旨に賛成の旨を返事して来ております。のみならず昨日の事です。その長男の手紙と同時に勧業銀行から破産宣告に関する通知が来ているのを私は見て参りました」
「フーム。してみると区長に嫌疑はかけられぬかな」
「ハイ。区長は絶対の無罪と信じます。少くとも区長と犯人との間柄は、赤の他人以上に無関係です」
「しかし君は、そうした犯人に関する意見を、何故《なぜ》に司法主任の馬酔《あせび》君に話さなかったのですか。その方が正当の順序じゃないですか」
 草川巡査はギクンとしたらしく言葉に詰まった。しかし、やがて冷い渋茶を一パイ飲むと、やはり持って生れた吶弁で、
「こんな事は今度の事件と全然、関係の無い、私の一身上のお話ですが……」
 と恐縮しいしい自分が谷郷村に赴任した理由を詳しく話し出した。
「そんな理由《わけ》で……私のような下級官吏の口から申上るのは僭越ですが、昔から田舎の都会に根を張っております政党関係の因縁の根強さは、到底、私どもの想像に及びません位で、それに……私は元来、極く田舎の貧乏寺の僧侶の子で御座いまして、父親の名跡《あと》を継ぐために、曹洞宗の大学を出るだけは出ました者ですが、現在の宗教界の裏面の腐敗堕落を見ますとイヤになってしまいまして、いっその事直接に実社会のために尽そうと考えて、檀家の人々が止めるのも聴かずに巡査を志願致しましたような偏屈者で御座いますから、そんな因縁の固まりみたような地方の警察署ではトテモ不愉快で仕事が出来ません。云う事、為す事が皆、上長の機嫌に触《さわ》りますので……もっとも只今では政党の関係は無くなりましたが、昔の有力者という者が残っておりまして、近づいて参ります選挙でも、警察の力を利用して、勝手な事をしてやろうと腕に捩《より》をかけて待っているような情勢《ありさま》であります」
「フムフム。それはモウよくわかっているが……」
「ですから、私のような偏屈者が警察に居りますと、何としても邪魔になりますらしいので、私が高等文官の試験準備を致しておりますのを良い事にして、田舎の方が勉強が出来るからと云って谷郷村へ逐《お》いやられてしまったのです」
「……成る程」
「……ですから今のような事実を説明しましても、上長に憎まれております私ですからナカナカ取上げてもらえまいと思いました。現に署長は、私が捜索を怠けておりますために、事件の眼鼻が附かないものと考えておられるようで、電話で度々お叱りを受けております。実際を御存じないものですから……」
「ふうむ。しかしそのような事実を、今日が今日まで私に黙っておられたのは何故ですか」
 鶴木検事の口調がダンダン裁判口調になって来た。草川巡査も、新しい西洋手拭《タオル》で汗を拭き拭きイヨイヨ吶弁になって来た。
「……その……今申しました犯人の性格をモット深く見究《みきわ》めたいと思いましたので……つまり犯人は都会の上流や、知識階級に多い変質的な個人主義者に違いないと思ったのです。もちろん最初の中《うち》は、そんなような感情や、理智の病的に深い人間が、あんな田舎に居ようとは思いませんでしたので……それに村民の評判がステキにいいものですから、出来る限り慎重に致したいと考えましたので……」
「成る程……」
「……そ……それにあの砥石の位置が、暗闇《やみ》の中で見えるか、見えないかが確かめて見とう御座いましたので……あの惨劇の晩は一片の雲も無い晴れ渡った暗夜《やみよ》で御座いましたが、その翌る晩から曇り空や雨天が続きまして、それが晴れると今度は月が出て来るような事で、まことに都合が悪う御座いました。それであの晩と同じような雲の無い暗夜《やみよ》が来るのを辛抱強く待っておりますうちに、やっと四五日前の晩に実験が出来ました。つまり台所の入口に立ちますと、あの砥石が井戸端の混凝土《タタキ》と一緒にハッキリと白く暗《やみ》の中に浮いて見える事がわかりました。もっとも、それはただ小さな白い、四角い平面に見えているだけで、砥石だか何だかわかりませんが、それを砥石と認め得る人間はあの家の者より他に無い筈です」
「いかにも……それは道理《もっとも》な観察ですが、しかし万一兇器としても単に柄《え》を嵌込《すげ》るだけの目的ならば、附近にシッカリした花崗岩《みかげいし》の敷石が沢山に在
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