とか、叱言《こごと》じみた事ばかり聞かされたので頗《すこぶ》る不平らしく見えたが、しかし、それでも極めて忠実に命令を遵奉しているにはいた。
一方に深良家の新夫婦は、老人夫婦の死骸の後始末が附いた後《のち》、極めて幸福な新生涯に入ったらしかった。父親の乙束《おとづか》区長が、よろぼいよろぼい借金の後始末に奔走しているのを一知は依然として知らぬ顔をしているかのように見えた。或は乙束区長が、自分自身の財政に行詰った余り、一知と謀《しめ》し合わせて、深良家の財産を引っぱり出そうとしたところから起った間違いではないかと、心の片隅で疑っていた所謂世間知り[#「世間知り」に傍点]も、村人の中に一人や二人、居ないではなかったが、しかし、そうした区長の窶《やつ》れ果てた顔と、何も知らない赤ん坊のような一知の、世にも幸福そうな顔色とは、そうした疑惑を一掃するのに十分であったらしい。
老夫婦が惨死した深良屋敷の奥座敷は、山伏の神祓《おはら》いで浄められて、新しい畳が青々と敷き込まれた。その上に土蔵の中から取出された見事な花|茣蓙《ござ》が敷詰められて、やはり土蔵の奥から持出された古い質草らしい、暑苦しい土佐絵《とさえ》の金屏風《きんびょうぶ》が建てまわされた。そうしてその土蔵の背後に在る畠境いの塵捨場《ごみすてば》には、珍らしい缶詰の殻や、西洋菓子の空箱や、葡萄酒の瓶なぞがアトからアトから散らかるようになった。そうして眼に痛い程明るい五十|燭《しょく》や百燭の電燈と、賑やかなラジオの金属音が、又もや毎晩毎晩丘の上から流れ落ち初めて、村の家々を羨ましがらせ、且《かつ》、悩ました。どうかすると十二時頃まで、奇妙な支那の歌声や、器楽の音なぞが、チイチイガアガア鳴り響くのであったが、それに気が付くたんびに村の人々は顔を見合わせた。
しかし、それでも夜が明けると一知夫婦はキチンキチンと仕事に精を出し、墓参りを怠らなかった。忌日忌日の法事も若いのに似合わず念入りに執行《とりおこな》って、村中の仁義|交誼《こうぎ》を怠らない気《け》ぶりを見せた。
これに反して草川巡査は日に増し憂鬱になって行った。心の奥底で何事かを煩悶しているらしく、高文の受験準備をやめてしまったばかりでない。夜通し眠らないような力無い鬱陶《うっとう》しい眼付をしてヒョロヒョロと巡回して歩く姿が、次第に村の者の眼に付くようになった。顔には無精鬚が茫々と伸び、頬がゲッソリと痩せこけて、眼ばかり、奥深く底光りするようになった。夕方なぞ見窶《みすぼ》らしい平服で散歩するふりをして駐在所を出ると、わざと人目を忍んだ裏山伝いに、丘の上の深良屋敷の近くに忍び寄って、木蔭の暗がりに身を潜めつつ、新夫婦の仲のよい生活ぶりをコッソリと覗《のぞ》いている……といったような噂がいつとなく村中のヒソヒソ話に伝わり拡がった。ことに依ると深良屋敷の老夫婦殺しは、草川巡査かも知れん……なぞと飛んでもない事を云う者すら出て来るようになった。
その中《うち》に秋口になって、山々の木立に法師蝉《ほうしぜみ》がポツポツ啼き初める頃になると、深良屋敷の一知夫婦が揃いの晴れやかな姿で町へ出て、生れて初めての写真を撮った。無論それは二人の新婚の記念にするのだと云っていたが、その写真が出来て来たのを、区長の家で偶然に見せてもらった草川巡査は、何故かわからないが非常に緊張した、寧《むし》ろ悲痛な表情で一心に凝視していた。その写真屋の名前を何度も何度も見直してシッカリと記憶に止《とど》めてから、妙に剛《こわ》ばった笑い顔で鄭重に礼を云って区長の家を出た。何かしきりに考えながらも足取だけは小急ぎに国道へ出たが、ちょうど通りかかった乗合自動車《バス》を見ると、急に手を挙げて飛乗って町へ出た。記憶している名前の写真屋を直ぐに尋ね当てて、極く内々で一知夫婦の写真の焼増を一枚頼んだ。
するとちょうど助手の不注意で一枚余分に焼いたのが在ったので、草川巡査は久し振りに満足そうな笑顔を洩《もら》した。引ったくるようにその一枚を貰って、その足で鶴木検事を裁判所に訪問し、折柄、宣告を澄ましたばかりの検事に裁判所の応接室で面会をすると、その写真を手渡ししながら自分の見込をスッカリ打明けた。
意気込んでいる草川巡査の吶弁《とつべん》を、法服のまま静かに聞き終った禿頭《とくとう》、童顔の鶴木検事は草川巡査の質朴を極めた雄弁にスッカリ釣込まれてしまったらしい。草川巡査と同じように憂鬱な顔になって、両腕を深々と胸の上に組んだ。
「つまりその砥石《といし》の上で刃物の柄《え》を撞着《どうづ》いて、抜けないようにしたと云うのですな」
「そうです。そのほかに今申上げましたようなラジオや、戸締りに関する一件もありますので、テッキリ犯人と睨んでいるのですが」
「どうも…
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