せったらヂック……そんな事をしたら化けて出るぞ」
「ハハハハ……化けて出たら抱いて寝てやらあ……何も話の種だ……エヘンエヘン」
「止せったら止せ……馬鹿だなあ貴様は……云ったってわかるもんか」
「まあいいから見てろって事よ……これあ余興だかンナ……俺の云う事が通じるか通じないか……」
 って云ううちに、そのヂックって男は、又一つ咳払いをしながらハッキリした露西亜《ロシア》語で演説みたいに喋舌《しゃべ》り出したの。
「エヘン……袋の中の別嬪《べっぴん》さんたち。よく耳の垢《あか》をほじくって聞いておくんなハイよ。いいかね。……お前さん達はみんな情人《いいひと》と一緒になりたさに、こんな姿に化けてここへ担《かつ》ぎ込まれて来たんだろう。又……お前さん達の情人《いいひと》も、おんなじ料簡で、お前さん達をここまで連れて来たんで、決して悪気じゃなかったんだろうが、残念な事には、それが出来なくなっちゃったんだ。いいかい……だからね。……エヘン……だから怨むならばだ……いいかい……怨むならば、お前さん達の情人《いいひと》にこんなステキな智恵を授けた、ヤングという豪《えら》い人を怨まなくちゃいけないんだよ。……それからもう一人……この艦《ふね》に乗っている俺たちの司令官《たいしょう》を怨みたけあ怨むがいいってんだ。……イヤ……事によると、その司令官《たいしょう》だけを怨むのが本筋かも知れないがね……どっちにしても、お前さん達のいい人や、そんな連中に頼まれた俺達を怨んじゃいけないよ。いいかい……という訳はこうなんだ。先刻《さっき》ヤングさんが司令官《たいしょう》に、お前さん達を亜米利加《アメリカ》まで連れてっていいかって伺いを立ててみたら、亜米利加の軍艦の中には、食料品《たべもの》より以外《ほか》に肉類《にく》を一切置いちゃイケナイってえ規則になっているんだッてさあ……だからね……折角《せっかく》ここまで来ているのをホントにお気の毒でしようがないけど、ちょうど風も追い手のようだから、お前さん達はその袋のまんま、海を泳いで浦塩《うらじお》の方へ……」
 ここまでその男が饒舌《しゃべ》って来たら、あとは聞えなくなっちゃったの。だって妾のまわりに転がっている十いくつの袋の中から、千切《ちぎ》れるような金切声が一どきに飛び出して、ドタンバタンとノタ打ちまわる音がし始めたんですもの。中には聞いたような声がいくつもあったようだけど、そんな時に誰が誰だかわかりやしないわ。ただ耳が潰れるほどキーキーピーピー云うだけですもの。
 だけど私は黙っていたの。声を出すより先にどうかして、袋を破いてやろうと思って、一生懸命に藻掻《もが》いていたの。だけど袋が小さい上にトテモ丈夫に出来ているので、噛み付こうにも噛み付けないし、力一パイ足を踏ん張ると首の骨が折れそうになるし、その苦しさったらなかったわ。だけど、それでも生命《いのち》がけの思いで、力のありったけ出して藻掻いているうちに、妾のまわりの叫び声が一ツ一ツに担ぎ上げられて、四ツか五ツ宛《ずつ》行列を立てながら階段を昇りはじめたの。その時にはチョットの間《ま》みんなの叫び声は止んだようだけど、その階段の音が聞えなくなると、又前よりも非道《ひど》い泣き声や金切声がゴチャゴチャに聞え始めたの。めいめいに男の名を呼んでヒイヒイ泣いていたようよ。
 だけど妾それでも泣かなかったの。そうして死に物狂いになって、両手で頭をシッカリと抱えながら、足の処の結び目を何度も何度も蹴ったり踏んだりしていたら、身体《からだ》中が汗みどろになって、髪毛《かみのけ》が顔中に粘り付いて、眼も口も開けられなくなってしまったの。その中《うち》に袋の中は湯気が一パイ詰まったように息苦しくなって来るし、髪の毛は顔から二の腕まで絡まって、動くたんびにチクチク抜けて行くし、おまけに着物と毛布が胸の上の処でゴチャゴチャになって、袋の中一パイにコダワリながら、お乳を上へ上へと押し上げるので、その苦しさったら……もう死ぬかもう死ぬかと思った位よ。そうしてそのうちに……御覧なさい。この臂《ひじ》の処が両方ともこんなに肉が出てピカピカ光っているでしょう。この臂はヤングが「|猫の臂《キャツエルボウ》」って名をつけて、紐育《ニューヨーク》婦人の臂くらべに出すって云っていたくらい柔らかくてスンナリしていたのが、知らないうちに擦《す》り破れてしまって、動くたんびにヒリヒリと痛み出して来たんですもの。……それに気が付くと妾はもう、スッカリ力が抜けてしまって、意地にも張りにも動けなくなったようよ……両方の臂を抱えてグッタリとなったまま、呼吸《いき》ばかりセイセイ切らしていたようよ。
 そのうちに又、上の方から四五人の足音が聞えて来ると、みんなの叫び声がまた、ピッタリとなっちゃったの。それに連れて降りて来る男たちの話声がよく聞えたのよ。器械の音とゴッチャになったまま……。
「アハハハハ。非道《ひで》え眼に会っちゃったナ。あとでいくらかヤングに増してもらえ」
「ヂックの野郎が余計な宣告を饒舌《しゃべ》るもんだから見ろ……こんなに血が出て来た」
「ハハハハ恐ろしいもんだナ。袋の中から耳朶《みみたぼ》を喰い切るなんて……」
「喰い切ったんじゃねえ。引き千切《ちぎ》りかけやがったんだ。だしぬけに……」
「俺あ小便を引っかけられた。コレ……」
「ウワ――。あれあスチューワードが持ち込んだ肥《ふと》っちょの娘だろう。彼奴《あいつ》の鞭で結《ゆわ》えてあったから……」
「ウン。あのパン屋のソニーさんよ。おかげで高価《たけ》え銭《ぜに》を払ったルパシカが台なしだ。とても五|弗《ドル》じゃ合わねえ」
「まあそうコボスなよ。女の小便なら縁起《えんぎ》が宜《い》いかも知れねえ」
「人をつけ……ウラハラだあ……」
「ワハハハハハ」
 ……だってさあ……こんな事を云い合って呑気《のんき》そうに笑いながら、その男たちは又四ツばかり叫び声を担ぎ上げたの。
「サア温柔《おとな》しく温柔しく。あばれると高い処から取り落しますよ。落ちたら眼の玉が飛び出しますよ」
「小便なんぞ引っかけないように願いますよだ。ハハハハハハ」
「ドッコイドッコイ……どうでえこの腹部《ポッポ》のヤワヤワふっくりとした事は……トテモ千金《せんきん》こてえられねえや」
「アイテッ。そこは耳朶《みみたぼ》じゃねえったら……アチチチ……コン畜生……」
「ハハハハ。そこへ脳天を打《ぶ》っ付けねえ。その方が早《はえ》えや」
「アイテテ……又やりやがったな……畜生ッ……こうだぞ……」
 って云ううちに、……ギャーッて云う声が室中《へやじゅう》にビリビリする位響いて来たの。
 その声を聞くと妾は又夢中になってしまって、身体《からだ》中にありたけの力を出しながら、床の上を転がり始めたの。そうして出来るだけ電燈の光りの見えない方へ盲目探《めくらさぐ》りに転がって行って、何かの陰を探して隠れよう隠れようとしていたの。そうすると今度は男たちの靴の音が離れ離れになって、一人か二人|宛《ずつ》あとになったり先になったりしながら――次から次に担ぎ上げて行くうちに、とうとう、室《へや》の中の叫び声が一ツも聞こえなくなってしまったのよ。ただ軍艦の動く響きと、微かな波の音ばっかり……人間の居るらしい音は全く無くなってしまってね……。
 その時に妾はやっと、すこしばかり溜息をして気を落ちつけたようよ。妾の袋はキット何かの陰になって、見えなくなっているのに違いないと思い思い、顔中にまつわっている髪の毛を掻き除《の》けながら、なおも、ジッと耳を澄ましていたようよ。
 そうすると、それから暫く経って、もうみんなどこかへ行って終《しま》ったと思う頃、今度はたった一人の、重たい、釘だらけの靴の音が……ゴトーン、ゴトーンと階段を降りて来たの。そうして室《へや》のまん中に立ち止まって、そこいらをジーイと見まわしながら突立《つった》っているようなの。
 ……その時の怖かったこと……今までの怖さの何層倍だったか知れないわ……妾の寿命はキットあの時に十年位縮まったに違いないわよ。……もう思い切り小さくなって、いつまでもいつまでも息を殺していると、そこいら中があんまり静かなのと、気味がわるいのとで頭がキンキン痛み出して、胸がムカムカして吐きそうになって来たの。それを我慢しよう我慢しようと藻掻《もが》いていたために身体《からだ》じゅうが又、冷汗でビッショリになってしまったの。
 そうすると、もうどこかへ行ったのか知らんと思っていたその男が馬鹿みたいにノロノロした、変テコな胴間声《どうまごえ》で口を利き出したの。
「……どうしても一ツ足りねえと思うんだがナア……みんなは、おらが三人担いだというけんど、おらあ二遍しけあ階子段《はしごだん》を昇らねえんだがなあ……」
 その声と言葉付きを聞いた時に、妾は又、髪の毛が一本一本馳け出したように思ったわ。歯の根がガクガク鳴り出して、手足がブルブル動き出すのをどうする事も出来なかったわ……だってその声っていうのは、ずっと前に一度オブラーコの酒場《レストラン》へ遊びに来て、散々《さんざっ》パラ水兵たちにオモチャにされて外に突き出された、大きな嫌《いや》らしい黒ん坊の声だったんですもの。……その時にその黒ん坊が恨《うら》めしそうな、もの凄い眼付きで妾たちをふり返った顔を、袋の中でハッキリと思い出したんですもの……怖いにも何にも、妾は生きた空がなくなって、もうすこしで気絶しそうになった位よ。今にもゲーッと吐きそうになってね。そうするとその黒ん坊は、
「どうしても無いんだナア……可笑《おか》しいナア……」
 って云いながらマッチを擦って煙草を吸い付け吸い付け出て行きそうに歩き出したの。……そん時の嬉しかったこと……妾は思わず手の甲に爪が喰い入る程力を籠めてイーコン様を拝んじゃったわ。
 ……だけど矢っ張り駄目だったの……階段の方へノロノロと歩いて行った黒ん坊は間もなく奇妙な声を立てながらバッタリと立ち止まったの。
「イヨーッ。あんな処に隠れてら。フヘ、フヒ、フホ、フム……畜生畜生」
 と云うなり、ツカツカと近づいて来て、妾の袋へシッカリと抱き付いちゃったの。それと一緒に黄臭《きなくさ》い煙草のにおいと、何ともいえない黒ん坊のアノ甘ったるい体臭《におい》とがムウーと袋の中へ流れ込んで来たようなの。
 妾、その時に、どんな風に暴れまわったか、ちっとも記憶《おぼ》えていないのよ。……ただ、ちっとも声を立てなかった事を記憶《おぼ》えているだけよ。誰か加勢に来たら大変と思ってね。……だけどその黒ん坊も、ウンともスンとも云わなかったようよ。おおかた一人で妾をどこかへ担いで行って、どうかしようと思ったのでしょう。暴れまわる妾を何遍も何遍も抱え上げかけては、床の上に取り落し取り落ししたので、そのたんびに妾は気が遠くなりかけたようよ。
 だけど、それでも妾は声を立てなかったの。そうしてヤッサモッサやっているうちに、どうした拍子か袋の口が解けて、両足が腰の処までスッポンと外へ脱《ぬ》け出した事がわかったの……。
 それに気が付いた時に妾がどんなに勢よく暴れ出したか……アラ又……笑っちゃ嫌《いや》って云うのに……ソレどころじゃなかったわよ、ソン時の妾は……何でもいいから……足が折れても構わないからこの黒ん坊を蹴殺して、その間に袋から脱け出してやろうと思って、頭でも、顔でも、胸でもどこでも構わずに蹴って蹴って蹴飛ばしてやったわ。……ええ……黒ん坊も一生懸命だったようよ。袋の上からシッカリと組み付いて来て、片っ方の手で妾の両足を押えようとするのだけども、妾の両足を一緒に掴まえる事はなかなか出来ないし、片っ方だけ捉《つか》まえても妾が死に物狂いで蹴飛ばしてやったもんだから、しまいにはセイセイ息を弾《はず》ませて、妾の足と掴み合い掴み合いしながらあっちへ転がり、こっちへ蹴飛ばされしていたようよ。……だけど、そのうちに妾の着物と毛布が両手と一緒に、だんだん上の方へ上って来て、息が出来ない位
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