。悪い奴はあの船の司令官一人だって云ってやろうと思っても、どうしてもその訳を話す事が出来なかったの。……何故っていうと、妾、正気に帰ってからちょうど一週間ばかりというもの、口を利くのが怖くて怖くてしようがなかったんですもの。どうしてもその時の恐ろしさが忘れられなくって「ハイ」とか「イイエ」とかいう短かい返事をするのさえ怖くて怖くてたまらない気がしてね。それを無理に口を利こうとすると、歯の根がガタガタ云い出して、すぐに吐きそうになって来るんですもの……仕方がないから丸で唖者《おし》みたようになって、眼ばかりパチパチさせていたら、警察の人達もとうとう諦らめてしまって、来なくなったようよ。
……だけども、そうして妾が一人ボッチになってから、ウトウトしようとすると、すぐに、あの時の気持が夢になって見えて来て、寝床の中で汗ビッショリになりながら、一生懸命に藻掻《もが》かせられるの。夢うつつに敷布を噛み破ったり湯タンポを蹴り落したりしてね。その恐ろしさったらなかったわよ。そうして、そんな夢のおしまいがけにはキットあのヤングの悲しい、静かな声が、どこからともなくハッキリと聞えて来て、妾をサメザメと
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