《ほど》いてしまうと、
「サアサア。寒かったでしょうね」
 って云いながら、又、もとの通りに袋を冠《かぶ》せて口をシッカリ括《くく》ってしまったの。
 ええ……妾はちっとも手向いなぞしなかったわ。死人のようにグッタリとなって、ヤングのする通りになっていたわよ。
 その時のヤングの声の静かで悲しかったこと――ほんの一寸《ちょっと》の間《ま》だったけど、妾の胸にシミジミと融《と》け込んで、妾に何もかも忘れさしてしまったのよ。……何だか甘い、なつかしい夢でも見ているような気もちになってね……ネンネコ歌にあやされて眠って行く赤ん坊みたように、涙が止め度なく出て来たもんだから、妾はとうとう声を出してオイオイ泣き出しちゃったの。
「……ヤング……ヤング……」
 って云ってね……そうするとヤングは一々丁寧に返事をしいしい妾を袋に入れてしまってから、今一度妾の頭の処を、袋の上から撫でてくれたわ。
「……ね……ね……わかったでしょう、ワーニャさん。温柔《おとな》しくするんですよ。サアサア。もう泣かないで泣かないで。いいですか。ハイハイ。私がヤングですよ。いいですか。サ……泣かないで泣かないで」
 そう云って妾をピッタリと泣き止まして終《しま》うと、静かに立ち上って、這入って来た時と同じように気取った足音を立てながら、悠々と階段を昇ってどこかへ行ってしまったの。
 だけど妾は、やっぱり夢を見ているような気持ちになって、シャクリ上げシャクリ上げしながらグッタリとなっていたようよ。そうすると、あとに残った三人の男たちは手《て》ん手《で》に妾の頭と、胴と、足を抱えて、上の方へ担ぎ上げながら、黙りこくって階段を昇りはじめたの。そのゆっくりゆっくりした足音が、静かな室《へや》の中にゴトーンゴトーンと響くのを聞きながら、妾は何だか、教会の入口を這入って行くような気持ちになっていたようよ。
 だけど第一の階段を昇ってしまうと間もなく、一番先に立って、妾の足を抱えていた男が、変な声でヒョックリと唸《うな》り出したの。そうして何を云うのかと思っていると、
「ウーム。ウメエもんだナア。ヤングの畜生、あの手で引っかけやがるんだナア。どこへ行っても……」
 って、サモサモ感心したように云うの。そうすると妾の腰を担いでいた男も真似をするように唸り出したの。
「ウーム。まるで催眠術だな。一ペンで温順《おとな》しくしちまやがった」
 そうすると又、妾の頭を担いでいた男が、老人《としより》みたような咳をゴホンゴホンとしながら、こんな事を云ったの。
「十七人の娘の中《うち》で、ワーニャさんだけだんべ……天国へ行けるのはナア」
「アーメンか……ハハハハハ」
 こんな事を云っているうちに、又二つばかりの階段を昇ると、ザーザーという波の音がして甲板へ出たらしく、袋の外から冷たい風がスースーと這入って来て、擦《す》り剥《む》けた臂《ひじ》の処が急にピリピリ痛み出したの。それと一緒に明るい太陽の光りが袋の目からキラキラとさし込んで来て、眼が眩《くら》むくらいマブシクなったので、妾は両手で顔をシッカリと押えていたようよ。そうしたら足を抱えていた男が、
「サア……天国へ来た……」
「ウフフフフ。ワーニャさんハイチャイだ。ちっとハア寒かんべえけれど」
「ソレ。ワン……ツー……スリイッ……」
 と云ううちに、妾をゆすぶっていた六ツの手が一時《いちどき》に離れると、妾はフワリと宙に浮いたようになったの。
 その時に妾は何かしら大きな声を出したようよ。……やっと夢から醒めたようにドキンとしてね……だけど、そう思う間もなく、妾の頭が、船の外側のどこかへ打《ぶ》つかると一処《いっしょ》にガーンとなってしまって、いつ海の中へ落ち込んだかわからなかったの……。

 それから又、妾が気が付いて眼を開《あ》いたのは、一分か二分ぐらい後《のち》のようにしか思えないのよ……何だか知らないけれど身体《からだ》中に痺《しび》れが切れて、腰から下が痒《かゆ》くて痒くてしようがないように思っているうちに、フイッと眼を開《あ》いてみたら、そこは忘れもしないこのレストランの地下室でね。いつぞや肺病で死んだニーナさんが寝かされていたその寝台《ベッド》の上に、湯タンポと襤褸《ぼろ》っ布片《きれ》で包まれながら、素《す》っ裸体《ぱだか》で放り出されているじゃないの。おまけに寝台《ベッド》の横でトロトロ燃えているペーチカの明《あか》りでよく見ると、妾の手や足は凍傷で赤ぶくれになっていて、針金の痕《あと》が蛇みたいにビクビクと這いまわっている上から、黒茶色の油膏薬《あぶらぐすり》がベトベトダラダラ塗りまわしてあるじゃないの。その汚ならしくて気味の悪かったこと……妾何だかわからないままビックリして泣き出しちゃった位よ。
 ……だけど、それか
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