古摺《てこず》ったところを見ると……」
「フフン、勿体《もったい》なくもオブラーコのワーニャさんだかんな」
「ウーム。十九だってえのに惜しいもんだナア……コンナに暴れちゃっちゃ、ヤングだって隠しとく訳に行くめえが……」
「……シーッ……来やがった来やがった……」
 って云ううちに、又一人、スパリスパリと煙草を吹かしながら、軽い、気取った足取りで階段を降りて来て、悠《ゆ》っくり悠っくりと妾の傍に近づいた者が居るの……。
 その足音を聞くと妾は気もちが一ペンにシャンとなっちゃったわ。飛び上りたい位嬉しくなって……ヤング……って叫ぼうとしたのよ……。
 だけど妾が起き上ろうとすると、手や足が、胸の処まで氷みたようになって、動かなくなっていることがわかったの。それと一緒に、声がピッタリと咽喉《のど》に閊《つか》えてしまって、名前を呼べる位ならまだしも、声を立てる事すら出来なくなっているじゃないの。何だかそんな夢でも見ているように胸の処が固《こわ》ばってしまってね。もしかすると、あんまり怖い眼に会い続けたので気が変になっていたのかも知れないけど……。
 そうするとヤングは、長い長い大きな溜め息を一つしてから、静かな、猫撫で声かと思うくらい優しい口調で、こんなお説教を妾にして聞かせたの。上品な露西亜《ロシア》語でね……。
「ワーニャさん。温柔《おとな》しくしていて頂戴……。私は貴女《あなた》が憎いから、こんな事をするのじゃありません。よござんすか。よく気を落ち着けて聞いて頂戴……ね。私は貴女が可愛いくて可愛いくてたまらない余りにコンナ事をするのです。私は貴女が、あんまり綺麗で可愛いから、亜米利加《アメリカ》の貴婦人と同じようにして殺してみたくなったのです。ね。いつぞやお話して上げた恋愛ごっこの事を、まだ記憶《おぼ》えていらっしゃるでしょう、ね、ね、わかったでしょう。……私は最早《もう》近いうちに日本と戦争をして戦死をするのです。ですからもう、貴女以外の女の人と結婚する事は出来ないのです。貴女と一緒に天国に行くよりほかに楽しみは無くなったのです。ですから満足して、私の云う事をきいて頂戴。ね、ね、温柔《おとな》しく私の云う通りになって死んで頂戴。ね、ね……わかったでしょう。ね、ね……」
 そう云ううちにヤングは妾の足に捲かった針金を解き始めたの。そうして胸の上までユックリユックリ解
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