は存じながら逃げる心底《しんてい》でおりましたところ、お手数をかけまして何とも……」
 ちゃんと考えていたのであろう。若侍がスラスラと礼の言葉を陳《の》べたので、思い上っていた平馬は、すこしうろたえた。
「いや。天晴《あっぱ》れな御心懸け……あッ。これは却《かえ》って……」
 と恐縮しいしい茶合羽と菅笠を受取った。
「お羨《うらやま》しいお手の内で御座いました。お蔭様でこの街道の難儀がなくなりまして……」
「……まことに恥じ入りまするばかり……」
 言葉低く語り合ううちに松原を出た。そうして二人ともタッタ今血を見た人間とは思えぬ沈着《おちつ》いた態度で、街道の傍《わき》に立止まった。
 明るい処で向い合ってみると又、一段と水際立《みずぎわだ》った若侍であった。外八文字に踏開《ふみひら》いた姿が、スッキリしているばかりではない。錦絵の役者振りの一種の妖気を冴え返らせたような眼鼻立ち、口元……夕闇にほのめく蘭麝《らんじゃ》のかおり……血を見て臆せぬ今の度胸を見届けなかったならば、平馬とても女かと疑ったであろう。
 その若侍は静かに街道の前後を見まわしながら、黄色い桐油合羽の前を解いた。ツカ
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