いがあっての」
「ヘエッ。これは亦、思いも寄りませぬ」
「ほかでもない。忘れもせぬ昨年の十月の末の事じゃ。久方振りに殿の御用で江戸表へ参いっておる中《うち》に、あの願書の当の本人、友川矩行という若侍から父の仇敵《かたき》と名乗り掛けられてのう……」
「ヘエッ。いよいよ以て不思議なお話……」
「おおさ。しかも馬場先の晴れの場所で、助太刀《すけだち》らしい武士が二人引添うておったが聊《いささ》か肝を奪われたわい。面目ない話じゃが聊か身に覚えのない事じゃまで……」
「成る程……御尤《ごもっと》も様で……」
「しかし迂濶に相手はならぬ。何か仔細がある事と思うたけに咄嗟《とっさ》の間《ま》に身を引きながら、如何にも身共は黒田藩の浅川一柳斎に相違ないが、何か拙者を讐仇《かたき》と呼ばれる仔細が御座るか。然るべき仇討《あだうち》の免状でも持っておいでるかと問うてみたればそれは無い。在るには在ったが、浅草観世音の境内で懐中物と一所に掏《す》られてしもうたと云うのじゃ」
「ハハア。どうやら様子がわかりまする」
「うむうむ。そこで……然らば、お気の毒ながら仇呼《かたきよ》ばわりは御免下されい。第一毛頭覚え
前へ
次へ
全48ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング