ツカと平馬の前に進み寄って、恭々しく、頭を下げた。
「……手前ことは江戸、下《しも》六番町に住居《すまい》致しまする友川|三郎兵衛《さぶろびょうえ》次男、三次郎|矩行《のりゆき》と申す未熟者……江戸勤番の武士に父を討たれまして、病弱の兄に代って父の無念を晴らしに参りまする途中、思いもかけませぬ御力添えを……」
「ああいやいや……」
 平馬は非道《ひど》く赤面しながら手をあげた。
「……その御会釈は分《ぶん》に過ぎまする。申後《もうしおく》れましたが拙者は筑前黒田藩の石月と申す……」
「……あの……黒田藩の……石月様……」
 といううちに若侍は顔を上げて、平馬の顔をチラリと見た。しかし平馬は何の気も付かずに、心安くうなずいた。
「さようさよう。平馬と申す無調法者。御方角にお見えの節は、お立寄り下されい」
「忝《かたじけ》のう存じまする。何分ともに……」
 若侍は又も、いよいよ叮重《ていちょう》に頭を下げた。
「……何はともあれこのままにては不本意に存じまするゆえ、御迷惑ながら小田原の宿《しゅく》まで、お伴仰せ付けられまして……」
「ああ……イヤイヤ。その御配慮は御無用御無用。実は主命を帯びて帰国を急ぎまするもの……お志は千万|忝《かたじけ》のうは御座るが……」
「……御尤《ごもっと》も……御尤も千万とは存じまするが、このままお別れ申してはいつ、御恩返しが……」
「アハハ。御恩などと仰せられては痛み入りまする……平に平に……」
「……それでは、あの……余りに御情のう……おなじ御方角に参りまする者を……」
「申訳《もうしわけ》御座らぬが、お許し下されい。……それとも又、関所の筋道に御懸念でも御座るかの……慮外なお尋ね事じゃが……」
「ハッ。返す返すの御親切……関所の手形は仇討《あだうち》の免状と共々に確《しか》と所持致しておりまする。讐仇《かたき》の生国《しょうこく》、苗字は申上げかねまするが、御免状とお手形だけならば只今にもお眼に……」
「ああイヤイヤ。御所持ならば懸念はない。御政道の折合わぬこの節に仇討《あだうち》とは御殊勝な御心掛け、ただただ感服いたす。息災に御本望を遂げられい。イヤ。さらば……さらば……」
 平馬は振切るようにして若侍と別れた。物を云えば云う程、眼に付いて来る若侍の妖艶《あでやか》さに、気味が悪るくなった体《てい》で、スタスタと自慢の健脚を運んだ。
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