で……」
「……ホホオ……初めてと申さるるか」
「左様で……表の帳場に座っておりましても、慣れて参りますると、お通りになりまする方々の御身分、御役柄、又は町人衆の商売は申すに及ばず、お江戸の御時勢、お国表の御動静《ごようす》までも、荒方《あらかた》の見当が附くもので御座いまするが……」
「成る程のう。そうあろうともそうあろうとも……」
「……なれども只今のような不思議な御方《おかた》が、この街道をお通りになりました事は天一坊から以来《このかた》、先ず在るまいと存じまするで……」
「うむうむ……殊に容易ならぬのはアノ足の早さじゃ。身共も十五里十八里の道は日帰りする足じゃからのう……きょうも焼津から出て大井川で、したたか手間取ったのじゃが……」
 佐五郎老人はちょっと眼を丸くした。
「……それは又お丈夫な事で……」
「まして女性《にょしょう》とあれば通し駕籠に乗ったとしてものう」
 佐五郎は大きく点頭《うなず》いた。
「さればで御座りまする。貴方様のおみ足の上を越す者でなければ、お話のような芸当は捌《さば》けるもので御座いませぬが……とにかく私がこれから出向きまして様子を探って参いりましょう。まだ左程、離れてはおるまいと存じまするで……」
「ああコレコレ。そのような骨を老体に折らせては……分別してくるればそれでよいのじゃが……」
「ハハ。恐れ入りまするが手前も昔取った杵柄《きねづか》……思い寄りも御座いまするでこの場はお任《ま》かせ下されませい。これから直ぐに……」
「……それは……慮外千万じゃのう……」
「……あ。それから今一つ大事な事が御座りまする。念のために御伺い致しまするが、旦那様は、そのお若いお方の讐討《あだうち》の御免状を御覧になりましたか……それともその讐仇《かたき》の生国《しょうこく》名前なんどを、お聞き及びになりましたか」
「いいや。それ迄もないと思うたけに見なんだが……」
「……いかにも……御尤《ごもっと》も様で、それでは鳥渡《ちょっと》一走り御免を蒙りまして……」
「……気の毒千万……」
「どう仕りまして……飛んだお妨げを……」
 老亭主の佐五郎はソソクサと出て行った。……と思う間もなく最前の小娘が、別の燗瓶を持って這入って来た。ピタリと平馬の前に座ると相も変らず甲高《かんだか》いハッキリした声を出した。
「熱いのをお上りなさいませ」
 平馬は何と
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