だア……ナニイ……マージャン……マアジャンたあ何だあ……朝の雀と書くウ……チューチューという雀かア……何だアサ違いだア……着物の麻だア……わかったわかった。馬鹿にするナア」
その声を聞いているうちに俺はブルブルと胴ぶるいがして来た。
「ヨシッ……何でも構わない。一つビックリするような記事を取って来てやろう。……こうなれば絶体絶命だ。どうするか見やがれ。……肝を潰すな山羊髯おやじ」
と決心するとモウ一つブルブルと胴震いがした。持って生まれた新聞記者本能が、ツイ今しがたの電話の声で眼覚め初めたのだ。そうして腹の減ったのも忘れて一気に応接間の暗い階段を駈け降りた。
当てどもない福岡の町のマン中へ飛び出した。生れ変ったような溌剌とした気持で……。
二
生れて初めて来た……知っている者が一人も居ない……西も東もわからない田舎の町でイキナリ新聞記事を探して来いと云われたら大抵の記者が屁古垂《へこた》れるだろう。
ところが吾輩は屁古垂れなかった。
ポケットに残っていた五十銭玉を、東中洲の盛り場で投出して、飯付《めしつき》十五銭の鋤焼《すきやき》を二人前詰込んだ吾輩は、悠々とステッキを振り振り停車場へ引返した。三等待合室へ張込んで、クチャクチャになった朝日の袋の中からモウ一本引出して美味《うま》い美味い煙を吸った。
……実際自信があったのだ。どんな小さな都会でも新聞記事が無ければ停車場に行くに限る。アトは眼と頭だ。それから足だ。
煙草吸い吸い構内を一周《ひとめぐ》りして見ると、新聞記者らしい者の影が一つも見えない。町が小さいのか、新聞社が貧弱なのか。停車場専門の記者が居ないと見える。モウ四時半の上り下り急行列車が着く間際なのに……と思いながら一二等の改札口に来て左右を見まわすと……居た……。
但、新聞記者じゃない。茶の中折に黒マントの日に焼けた男がタッタ一人駅長室の前に立っている。その引締まった横頬と、精悍《せいかん》なうしろ姿はドウ見ても刑事だ。ことに依ると毎日張込んでいる掏摸《すり》専門の刑事かも知れないと思ったが、それならタッタ今改札し初めた、改札口に気を付ける筈なのに、そんな気ぶりも無い。心持ち前屈《まえこご》みになって、古い駒下駄の泥をステッキの先で落している。たしかに大物を張込んでいるらしい態度だ。その態度を片目で注意しいしいプラットフォームに突立っている群集の姿を一人一人見まわしているうちに上り列車が着いて、こっちのプラットフォーム一パイに横たわった。……と思うとその刑事は、さり気ない風情《ふぜい》で、郵便車の前に佇《たたず》みながら、改札口の方向を監視し始めた。四十恰好の眼の鋭いチャップリン髭《ひげ》を生やした男だ。
そのうちに下りの急行も着いたらしく改札口が次第にコミ合い初めた。駅員が三人で三処《みところ》の改札口を守っているが仲々|捌《さば》き切れない。バスケットを差上げる田舎者。金切声を出して駈け出す令嬢。モシモシと呼び止める駅員。オーイオーイと帽子を振る学生なぞ。然し吾輩はソンナものには眼もくれないで刑事の眼付きを一心に注意していた。煙たそうに口付《くちつき》を吸いながら改札口を見守っているその眼付きを……。
するとその口付が半分も立たない中《うち》にポイと刑事の口から吹き棄てられた。同時に刑事がノッソリと郵便車の前を離れて、群集に混っているモウ一人の刑事らしい男とうなずき合った。群集の中のどれか一人を眼で知らせ合いながら……どこからか跟《つ》けて来た犯人をリレーしている気はいである。
吾輩はすぐに一二等改札口から引返して出口に向った。
見るとチャップリン髭の刑事は大急ぎで駅前の青電車(東邦電力経営)の方へステッキを振って行く。その五六間先に、派手なハンチングを冠《かぶ》って、荒い格子縞の釣鐘《つりがね》マントを着た男が、やはり小急ぎしながら電車に乗りに行く恰好が眼に付いた。これが新聞記者特有の第六感というものであったろうか。それともその釣鐘マントが急ぐ速度と刑事が跟《つ》けて行く速度が似通っているせいであったろうか。その釣鐘マントの影に重たそうな風呂敷包を携《さ》げているのが見えた。結び目の隙間《すきま》から羊歯《しだ》の葉がハミ出しているところを見ると、果物の籠か何からしい。
吾輩は足を宙に飛ばした。満員になって動きかけているその電車の前の方から飛び乗った。うしろの方のステップには刑事がブラ下がっているから遠慮した訳だ。「モット中へ這入って下さい」と運転手から怒鳴られるまにまに吾輩はグングンと中の方へ身体《からだ》を押し込んだ。マン中の釣革にブラ下っている縞《しま》の釣鐘マントの横に身体を押し付けながら、素早くマントの裾をマクリ上げて、風呂敷包みの横の隙間から気付かれないように手を突込んでみた。
羊歯の葉が指の先に触った。それから柿……と思ううちに電車が駅前の交叉点のカーブを曲ったので車内が一斉にヨロヨロとよろめいた。その拍子に思わずグッと手を突込んでみると、固い、四角い、新聞包みらしい箱に触った。その箱の中央に何かしら金具らしいガタガタするもの……麻雀《マージャン》?……
……何をするんです……
といわんばかりに若い男が眼を剥《む》いて吾輩を睨み付けた。青白い、鼻の高い、眉の一直線な、痩せこけた男だ。どこかで見たような顔だ……とは思ったがその時はどうしても思い出せなかった。まだ、さほど寒くもないのに黒い襟巻を腮《あご》の上まで巻き付けていたせいかも知れない。そうして慌てて果物? の包みを左に持ち換えた。その態度を見た瞬間にハハア……怪しいナ……と気付いた吾輩は、何気なく笑って見せた。
「イヤ失礼しました。田舎の電車は揺れますから……」
ナアニ、東京の電車だって揺れるのだが、取りあえず、そんなチャラッポコを云って相手の顔をジロジロと見ると、その男は忽ち頬を真赤に染めて、ニヤリと笑い返しながらヒョコリと一つ頭を下げた。喧嘩したら損だと気付いたのであろう。そのまま何となく落付かない恰好で背中を丸くしながら、次第次第に前の方へ行くと、身動きも出来ない乗客の間を果物の籠で押分け押分け袖の下を潜るようにして運転台へ出て、呉服町交叉点から一つ手前の店屋町《みせやまち》停留場へ近づくと、まだ電車が停まらないうちに運転手台の反対の方からヒラリと車道へ飛び降りた。その時に果物の籠の中でガチャリと音がした。疑もない麻雀《マージャン》の音だ。……ここいらの奴はまだ麻雀なるものを知らないらしいが……それを聞いた瞬間に、最前新聞社で聞いた急報電話の内容がモウ一度耳の穴の中で繰り返された。……税関……税関がどうしたんだ……何だ……マージャン……マージャンたあ何だ……。
吾輩は運転手に切符を渡すと、横っ飛びに電車から降りて、角の焼芋屋の活動ビラの蔭に佇んだ。向う側を見ると、飛び降りた若い男は、スレ違って停車した電車の蔭に隠れるようにして西門《にしもん》通りの横町に走り込んだ。
走り込んだと思うと、取っ付きの薬屋に這入って仁丹《じんたん》を一袋買った。それから暑そうに汗を拭き拭き鳥打帽と釣鐘マントを脱いで、果物の包みの上に蔽いかけたが、今までの風呂敷では間に合わなくなったので、別の新しい大風呂敷を出してキューと包み上げながら店を出た。紺羅紗《こんラシャ》の筒ッポーに黒い鳥打帽、黒い前垂れに雪駄《せった》という扮装だから、どこかの店員が註文品でも届けに行く恰好にしか見えない。しかも、そうした前後の服装の態度の変化がチットも不自然じゃない。慣れ切っている風付《ふうつ》きを見ると、一筋縄で行く曲者《くせもの》じゃなさそうだ。二人の刑事が車掌台に頑張っていなかったら吾輩とても撒《ま》かれたであろう。
若い男は大胆にも、タッタ今刑事を載せて行った電車のアトから電車道の大通りをこっちに渡って、吾輩が立っているのに気が付いてか付かないでか見向きもせずに通り抜けて、西門通りの横町に這入って行った。それから二三町行って小さな坂道を降りると、郵便局の前から又右に曲った。オヤオヤこの辺をグルリと一廻りするつもりかな……と思い思いあとから電車通りに出てみると、先に立った若い男は呉服町の停留場まで来て、ちょっと躊躇しながら、右手の博多ビルデングの中へスウッと消え込んだ。
博多ビルデングというのは、この頃建った福岡一のルネッサンス式高層建築で、上層の三階が九州随一の豪華を誇る博多ホテルになっている。その下の方はカッフェ、理髪、玉突、食堂なぞいうデパートになっていて、いずれも福岡一流のダンデーな紳士が行く処だそうな。
そんな処とは知らないもんだから、若い男の後《あと》から跟《つ》いて行った吾輩は、ビルの玄関に這入るとギョッとした。ナアニ、設備の立派なのに驚いたんじゃない。正面の大鏡に映った吾輩の立姿の見痿《みすぼ》らしいのに気が附くと、チャキチャキの江戸っ子もショゲ返らざるを得なかったのだ。同時に、今の田舎からポッと出の青年店員みたような男が這入る処じゃないと気が付いた。
「畜生。俺を撒く了簡《りょうけん》だな」
と思うと直ぐ鼻の先に居る下足番に帽子《シャッポ》を脱いで聞いた。
「今ここへ若い店員風の男が這入って来たでしょう」
「ヘエ……」
と下足番は眼を丸くして吾輩を見上げ見下《みおろ》した。やはり刑事か何かと思ったのであろう。
「そのエレベーターに乗って行きました」
と指さす鼻の先へ、小さなエレベーターがスッと降りて来た。青い筋の制服を着たニキビだらけの小僧が運転している。
吾輩は直ぐにその中に飛び込んだ。
「お待遠様。どちらまで……」
とニキビ小僧が平べったい声を出した。
「今、ここへ店員みたような若い男が乗ったろう」
「ヘエ。……イイエ……」
「どっちだい。乗ったか乗らないか」
「若い断髪のお嬢さんならお乗りになりました」
「ナニ。若い断髪……」
吾輩は下足番の顔とエレベーターボーイのニキビ面《づら》を見比べた。二人とも妙な顔をしている。吾輩も多分妙な顔であったろう。このビルデングの真昼さなかに幽霊が出るのじゃあるまいかと疑っていたから……。
「向うの洗面所《トイレット》から出て来られた方でしょう。大きな風呂敷包をお提げになった……」
「ウン。それだそれだ。鼻の高い、眉毛の一直線になった女だろう」
「ヘエ。ベレー帽を冠った、茶色のワンピースを召して、白い靴下にテニス靴をお穿きになった」
「畜生。早い変装だ。黒羅紗の筒ッポの下に着込んでいやがったんだ」
「ヘエ。変装ですか……今のは……」
「イヤ。こちらの事だ……君は東京かい」
「私ですか……」
「ウン君さ……」
「ヘエ。東京の丸ビルに居りました」
「道理でベレー帽なんか知っている……どこへ行ったいそのワンピースは……」
「四階の博多ホテルへお泊《とまり》になりました」
「フーン。支配人は何という人だい。ホテルの……」
「霜川さんですか。支配人ですが……」
「ありがとう。一泊イクラだい。ホテルは……」
「ヘエ。特等が十円、一等が七円、普通が四円で、ダブルの特等は十五円になっております。別にチップが一割……」
「フウン。安いな。俺も泊るかな」
ボーイが吾輩の顔を見てニヤニヤと笑いやがった。どうも貧乏をすると余計な処へ来て、余計な恥を掻《か》く……畜生。どうするか見やがれ……。
「ヘイ。お待遠さま。ホテルで御座います」
ボーイが開けた網戸から追い出されるように飛び出した吾輩は、久し振りに眼の醒《さ》めるようなサルーンに直面させられて、少なからず面喰らった。
けれどもその次の瞬間にはモット面喰らわせられる大事件が持上った。そのサルーンの一番手近い向う向きになっている長椅子の派手な毛緞子《ダマスク》の上からスックリと立上った艶麗、花を欺くような令嬢……だか化生《けしょう》の女だかわからない女が吾輩と直面した。しかも、その直面した白い顔がタッタ今追いかけて来た若い店員の顔だったのには肝を潰した。ちょっとトイレットに這入って、黒い外
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング