親方は、眼を真白くなる程|瞠《みは》って、鏡の中の吾輩の顔を凝視している。ピリピリと動く細い眉。キリキリと冴え上った眥《めじり》。歪《ゆが》み痙攣《ひきつ》った唇。……吾輩の耳の蔭でワナワナと震える剃刀……。
 ……これは不可《いけ》ない。大シクジリだ。何とかしてこの親方を安心させて、気を落付かせなければいけない。薬がチット利き過ぎるようだ。このまま表へ飛出して行衛《ゆくえ》を晦《くら》まされたりしては面倒だ。
「アハアハアハ。どうだい親方。驚いたかい。俺あタッタ今行って現場《げんじょう》の模様を見て考えて来たんだ。何一つ盗まれていない原因もハッキリとわかったんだ。殺《や》ってしまってから急に恐ろしくなって逃げ出したものに違いないんだからね」
「……………」
「つまりアンナ空屋の中にタッタ一人で住んでいた禿頭の老爺《おやじ》が悪いという事になるんだ。迷宮事件を作るために居たようなもんだ。ねえ君。そうだろう……僕は犯人に同情するよ」
「そうですか……ネエ……ヘエ――ッ」
 と若い親方が五尺ばかりの長さの溜息を吐《つ》いた。衷心《ちゅうしん》から感心してしまったかのように……。
「……おど
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