チョボ一だ。どうなるものか……と少々時代附きの覚悟を咄嗟《とっさ》の間にきめた。同時に、上等の廻転椅子に長くなって、シャボンの泡を頬ペタにくっ付けながら決死の覚悟をしている自分自身が可笑《おか》しくなったので、又一つ咳払いをした。不意を打たれた親方が又ビックリして手を離した。
「いつからここに引越して来たんだい」
「ヘエ。アト月《つき》の末からなんで……」
親方の返事は何気もなさそうだったが吾輩は取りあえず腹の中で凱歌をあげた。アト月の末といったら、ちょうど事件のホトボリが醒めかかった時分である。それだのに被害者の後家さんと識《し》り合いというのは、いよいよ怪しい。
「繁昌してるってね」
とウッカリ口を辷《すべ》らしてハッとした。近所の噂を探って来た事を疑われやしないかと思って……。しかし親方の返事は依然として何気もなかった。
「ヘエ……お蔭様で……」
「隣の家には火の玉が出るってえじゃないか」
「ヘエ……そ……そ……そんな噂で……」
「君。這入ってみたかい。隣の家に……」
「……いいえ。と……飛んでもない……」
「今時そんな馬鹿な話があるもんじゃない。ねえ親方……」
「まったくな
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