たから、色恋の沙汰も、人に怨まれるような事も在りそうに無い……というのがこの事件の核心的な不思議の一つであった。
そのうちに伊勢の山田の灸点《きゅうてん》の先生の処へ行って養生をしていた、女房のお近婆さんが驚き慌てて帰って来たが、大学で解剖後、火葬に附せられた亭主の骨壺を抱いて、涙に暮れるばかりであった。
「只今まで警察で厳しいお調《しらべ》を受けましたが、妾《あたし》はマッタク何も存じません。妾はこの亭主に一生苦労をさせ通して死に別れました。子供は無いし、これぞという親戚も無いし、跡《あと》はどうしてよいやら途方に暮れております。
結婚後、血の道から癆性《ろうしょう》になって、そこの灸が利くとか、御祈祷がよいとか聞くたんびに、西から東と走りまわって養生をしておりましたが、その養生の費用を稼ぐばっかりで亭主は一生を終りました。お前が健康《じょうぶ》になってくれさえすれば、どこからか二千円ばかり算段して来て、下駄の卸問屋《おろしどんや》をして、自分で卸してまわるのに……と云うておりましたが、それも今は夢になってしまいました。この家《うち》でも売ってお金にして、門司に居る甥《おい》の処
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