何時間ぐらい睡《ねむ》るでしょうか」
「わかりませんねえ。夕方までぐらい睡るかも知れません」
「助かりますか」
「大抵助かります」
「ハハア……そこんところを一つ、まだ助かるか助からぬか、わからない事にして書きたいですが、含んでおいてくれませんか。そう書かないと新聞記事になりませんから……」
 ドク・リン氏は眼をパチパチさせた。妙な顔をして不承不承にうなずいた。大して事実を偽る訳ではないし、吾輩に痛いところを見られているもんだから余儀なく承知したのだろう。
 押入から布団をモウ一枚出して掛けてやりながら考えた。何とかして女の旦那を探し出す工夫は無いか。下宿の親仁《おやじ》は遊び人だから滅多《めった》に口を割る気遣いが無いし、ドク・リン氏だって知らないにきまっている。身のまわりのものに見当をつける品物も無いし、手紙なんかも在りそうにないし……ハテ。困ったな。相手の旦那を見付けて「彼女自殺の感想談」を一席弁じさせなくちゃ、記事にならないんだが……と頻《しき》りに首をひねっているところへ、下から煙草店に坐っている小娘が上って来た。藤六の娘らしく鼻っ株が大きい。
「あの……お迎えの俥《くるま》が参りましたが」
「誰をお迎えに……」
「此村さんをお迎えと申しまして……」
「どこから来たんだい」
「存じませんが……」
「お父《とっ》つあんはどこへ行ったんだい」
「今ちょっとお電話をかけに……」
「立派な俥かい」
「ハイ。お抱えらしい御紋付の……」
「占《し》めたっ」
 と云うなり吾輩は、階子段を二股に飛び降りて靴を穿いた。表に出るなり俥夫《しゃふ》に云った。
「急いで僕を、お邸まで乗せてってくれ給え。此村さんが自殺してんだから」
 面喰《めんくら》った俥屋が駈け出すと、吾輩は威勢よく仔熊の皮の中に反《そ》り返った。……ヘン。どんなもんだい。これだから新聞記者が止められないんだ……と云いたいくらいだ。おまけにどこへ連れて行かれるんだかテンキリわからないんだからイヨイヨ以て痛快だ。

 石堂橋を渡って電車通を東中洲、西中洲を抜けて春吉《はるよし》へ曲り込んで、渡辺通りから郊外へ出たと思うと、驚ろく勿《なか》れ、九州の炭坑王と呼ばれた、安島子爵家の門内に走り込んだ。
 流石《さすが》の吾輩も……コレハ……と驚いた。何かの間違いじゃないかと思ったが、まさかに俥《くるま》から飛降りて逃出
前へ 次へ
全53ページ中46ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング