者だというのに、どうも、おかしな男だ。東京を怖がっているような言葉尻の濁し方だ。多分東京で色事か何かで縮尻《しくじ》って落ちぶれて来たんだろう。東京と聞くとゾッとするような思い出があるんだろう。
「どうしてコンナ処へ流れて来たんだい。それくれえの腕があれあ、東京だって一人前じゃないか。ええ?……」
「そんなでも御座んせん」
「ござんせん」がイヤに「ござんせん」摺《ず》れがして甘ったるい。寄席《よせ》芸人か、幇間《たいこもち》か、長唄|鼓《つづみ》の望月《もちづき》一派か……といった塩梅《あんばい》だ。何にしてもコンナ片田舎で、洗練された江戸弁を相手に、洗練された鋏の音を聞いているともうタマラなく胸が一パイになる。眼を閉じていると東京に帰ったようななつかしい気がする。
「どうだい。東京が懐かしいだろう」
「……………」
 今度は全然返事をしない。よっぽど気の弱い男と見える。
「ずいぶん掛かるだろうなあ。コレ位の造作《ぞうさく》で理髪屋《とこや》を一軒開くとなると……ええ?……」
「……………」
 話頭《はなし》を変えてみたが、依然として返事をしない。眼を開《あ》いて鏡の中を見ると、真青になったまま、婆《ばばあ》じみた、泣きそうな笑い顔をしいしい首を縮めて鋏を使っている。鏡越しに顔を見られたので、仕方なしに作った笑顔らしかった。
「ヘエ。すこしばかり……山が当りましたので……」
 とシドロモドロの気味合いで答えた。まるで警察へ行って答えるような言葉遣いだ。……どうも怪訝《おか》しい。とにかく一種変テコな神経を持った男に違いない……と思った。それでも頭髪《あたま》はナカナカ上手に刈れている。吾輩の薄い両鬢《りょうびん》に附けた丸味なぞ特に気に入った。巾着切《きんちゃくきり》かテキ屋みたいに安っぽい吾輩の顔の造作が、お蔭で華族の若様みたいなフックリした感じに変って来たから不思議だ。
「山が当ったって相場でも遣ったのかい」
「……ヘエ……まあ。そんなところで」
 若い親方の返事がイヨイヨ苦しそうである。吾輩は又、話頭《はなし》を変えた。
「隣りの家《うち》ねえ」
「ヘエッ……」
 トタンに若い親方の顔が、鏡の中でサッと変った。鋏を動かす手がピッタリと止まった。ヨクヨク臆病な男と見える。そんなに魘《おび》える位なら、そんな恐怖《こわ》い家の近くへ来なけあいいにと思った。
「実は
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