ないが……。
 見ると山羊髯のおやじ[#「おやじ」に傍点]は仕事が閑散だと見えて、大阪の新聞の経済欄を読みながら、朝日を吸っては咳《せ》き入り、咳き入っては水ッ洟《ぱな》をすすり上げている。タヨリない事夥しい。
 その背後から近付いて、吾輩が赤鉛筆の筋を引いた下駄屋殺しの記事を指して見せたら、山羊髯は例によって小さな眼をショボショボさせた。蚊の啼くような声を出した。
「ホホホ。又何か仕事を見付けなさったか」
 ずいぶん人を喰った挨拶だとは思ったが、この場合、腹を立てる訳にも行かない。
「エエ。仕事を見付けなけあ逐《お》い出されそうですからね」
「ヒッヒッヒッ。ジッヘン。ゴロゴロゴロゴロ。ホホホ。何の記事かいな」
 吾輩が差出した新聞の綴込を抱えた山羊髯は、紙面を鼻の先に押付けて、初号活字の標題《みだし》を探り読んだ。コンナ盲目《めくら》同然のおやじ[#「おやじ」に傍点]を、御大層に飼っとく新聞社は、まったくのところ、日本全国に無いだろう。
「この記事は今でも迷宮ですか」
 山羊髯は記事を半分読みさしたまま、分厚い鉄縁の近眼鏡を外して、郡山の羽織の袖で拭いた。それからその眼鏡を片耳ずつ叮嚀に引っかけると、痩せ枯れた手でノロノロと山羊髯を撫でた。これだけの科《しぐさ》でも、生き馬の眼を抜く編輯長の資格は落第なんだが。
「ホッホッホ。新聞では迷宮じゃが……サアテナ……実際はモウ解決が付いておりはせんかナ……ホッホッヒッヒッ……」
「それじゃ貴方《あなた》には見当が付いてるんですか」
「付きませんな。現場《げんじょう》を見ておらんから」
「ヘエ。そんならドウ解決が付いてるんで……」
「目的無しの犯罪チウは在りませんてや」
「賛成ですね。僕も同意見です。ですから……」
「それじゃからその目的はモウ遂《と》げられとる頃と思う」
「その目的というのは金《かね》でしょうか、それとも……」
「加害者に聞いてみん事には解りませんな」
「被害者の後家《ごけ》さんはどこに居るか御存じですか」
「後家さんに当っても無駄じゃろう。根が馬鹿じゃけに何も知らんじゃろう」
「そうですかなあ。僕は後家さんが一番怪しいと思うんだがなあ。その後家さんと、どうかして心安くなった犯人が、共謀して……」
「ヒッヒッ。箱崎の警察もアンタと同意見じゃったがなあ。後家さんは何も知らいでもこの事件は立派に成立する可能性
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