事を名乗り上げている吾輩を見事手玉に取った上に、黙って七十円の大金を呉れている。むろん吾輩も七十円以上に価する名記事を取るには取った……取らせられたつもりだが、今日会って、改めて御礼を云っても……オヤ、そうでしたか……といったような顔で朝日を輪に吹いている。続いて働らいてくれとか、履歴書を出せとかいうような挨拶を一言もしないで空嘯《そらうそぶ》いている事は昨日の通りである。むろんこっちからも……引続いて雇ってくれるかどうか……なんて念を押すようなヘマはしない。ウッカリ云い出して「別に雇った訳ではありませんが」とか何とかフワリと遣られたら、摺《す》れっ枯らしの沽券《こけん》に拘《かか》わるばかりじゃない。折角《せっかく》あり付きかけた明日のオマンマがフイになる。何とも云わずに図々しく居据わる事だ。そうして追い出そうにも追い出し得ないスバラシイ記事を今日も一つ取る事だ。……そう思い思い編輯室の隣室《となり》の応接間に架けて在る玄洋日報|綴込《とじこみ》を、丸|卓子《テーブル》の上に引出して、前月以来の三面記事を次から次へと引っくり返してみると……。
 ……あるある………。
 福岡県の管轄内だけでも未解決の犯罪記事がウジャウジャ在る。……どうせ田舎の警察と新聞だから、見落しばっかりの手抜かりばっかりで、片端《かたっぱし》から迷宮に逐《お》い込んだのだろう……なんかと思い思い、そんな迷宮事件や尻切蜻蛉《しりきれとんぼ》事件の一つ一つを点検して行くと、目星《めぼ》しい記事がタッタ一つ見付かった。
 それは殆んど完全に近い迷宮事件と見える殺人事件であった。手口は極めて残忍な割に犯跡がわからないらしく、既に捜索に次ぐ大捜索後、一箇月を経過している。……ヨシ……コイツを一つ解決して吾輩の腕前を見せてやろう。吾輩一流のヨタやインチキを絶対に用いない地道《じみち》な、五分も隙の無い本格式の探偵法で、ドン底までネタをタタキ上げて、あの山羊髯をギャッと云わせてくれよう。ついでに県下の警察と新聞社の眼球《めだま》を刳《く》り抜いて、押しも押されぬ雷名を轟かしてくれよう。

 ……事件の内容は極めて簡単である。
 去る十一月三日(大正十一年)、の午前中の出来事だ。
 福岡市外、箱崎というと有名な筥崎《はこざき》八幡宮の所在地だろう。その八幡宮の横町に在る下駄屋が、まだ寝ていると見えて、表の板戸
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