どちらまで……」
 とニキビ小僧が平べったい声を出した。
「今、ここへ店員みたような若い男が乗ったろう」
「ヘエ。……イイエ……」
「どっちだい。乗ったか乗らないか」
「若い断髪のお嬢さんならお乗りになりました」
「ナニ。若い断髪……」
 吾輩は下足番の顔とエレベーターボーイのニキビ面《づら》を見比べた。二人とも妙な顔をしている。吾輩も多分妙な顔であったろう。このビルデングの真昼さなかに幽霊が出るのじゃあるまいかと疑っていたから……。
「向うの洗面所《トイレット》から出て来られた方でしょう。大きな風呂敷包をお提げになった……」
「ウン。それだそれだ。鼻の高い、眉毛の一直線になった女だろう」
「ヘエ。ベレー帽を冠った、茶色のワンピースを召して、白い靴下にテニス靴をお穿きになった」
「畜生。早い変装だ。黒羅紗の筒ッポの下に着込んでいやがったんだ」
「ヘエ。変装ですか……今のは……」
「イヤ。こちらの事だ……君は東京かい」
「私ですか……」
「ウン君さ……」
「ヘエ。東京の丸ビルに居りました」
「道理でベレー帽なんか知っている……どこへ行ったいそのワンピースは……」
「四階の博多ホテルへお泊《とまり》になりました」
「フーン。支配人は何という人だい。ホテルの……」
「霜川さんですか。支配人ですが……」
「ありがとう。一泊イクラだい。ホテルは……」
「ヘエ。特等が十円、一等が七円、普通が四円で、ダブルの特等は十五円になっております。別にチップが一割……」
「フウン。安いな。俺も泊るかな」
 ボーイが吾輩の顔を見てニヤニヤと笑いやがった。どうも貧乏をすると余計な処へ来て、余計な恥を掻《か》く……畜生。どうするか見やがれ……。
「ヘイ。お待遠さま。ホテルで御座います」
 ボーイが開けた網戸から追い出されるように飛び出した吾輩は、久し振りに眼の醒《さ》めるようなサルーンに直面させられて、少なからず面喰らった。
 けれどもその次の瞬間にはモット面喰らわせられる大事件が持上った。そのサルーンの一番手近い向う向きになっている長椅子の派手な毛緞子《ダマスク》の上からスックリと立上った艶麗、花を欺くような令嬢……だか化生《けしょう》の女だかわからない女が吾輩と直面した。しかも、その直面した白い顔がタッタ今追いかけて来た若い店員の顔だったのには肝を潰した。ちょっとトイレットに這入って、黒い外
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