若返り薬
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)中《あた》りません。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一年分|宛《ずつ》切り取って、
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 太郎さんはお父さまから銀色にピカピカ光る空気銃を一梃頂きました。大喜びで毎日毎日雀を撃って歩きましたが、一匹も中《あた》りません。そのうちに弾丸《たま》が一発も無くなりました。
 お父様に弾丸《たま》を買って下さいとお願いしましたが、
「まだ店がお休みだから」
 と云って買って下さいません。雀は表でチュンチュン鳴いて、何だか太郎さんを馬鹿にしているようです。太郎さんは弾丸《たま》のない空気銃を抱いて涙ぐみました。
 そのうちに不図お祖父様《じいさま》の手箱の中に赤い丸薬があった事を思い出しました。ちょうどお祖父《じい》様は御年始に行かれた留守でしたから、そっとお室《へや》へ行って床の間の手箱をあけて丸薬の袋を盗み出しました。
 その袋の中には赤い丸薬がたった三粒ありました。空気銃に入れてみると丁度良い位の大きさです。
 太郎さんは大喜びで三粒の赤い丸薬を持って表に出て、屋根の上にいる雀を狙って一発放しましたが、中《あた》りませんでした。又一発――又一発――とうとう三粒共赤い丸薬を撃ちましたが、中《あた》りません。雀は知らぬ顔をしてチュンチュンと囀《さえず》っています。
 太郎さんは急に丸薬が惜《おし》くなりました。もしやそこらに落ちていはしまいかと門の外へ来てみますと、そこには一人の老人の乞食がいて、三粒の赤い丸薬を汚い黒い掌《てのひら》に乗せて不思議そうに見ております。
 太郎さんは喜ぶまい事か、
「あっ、その丸薬は僕のだ。返しておくれ」
 と云いました。
 乞食は鬚《ひげ》だらけの顔を挙げて太郎さんをジロジロ見ましたが、やがてニヤリと笑って、
「坊ちゃん。この薬は今しがた私がここにいるときに天から降って来たのを私が拾ったのです。あなたに上げる訳に行きません」
 と云う中《うち》に汚い手で握り込んでしまいました。
 太郎さんは、何という意地の悪い乞食だろうと思って腹が立ちました。どうかして返してもらおうと思いましたが、しかたがありませんから、お祖父様《じいさま》の丸薬を盗んだ事を話しますと、乞食はさもさも驚いたという顔をしました。
「それは坊ちゃん、大変ですよ。この丸薬は一粒飲むと一年、二粒飲むと十年、三粒飲むと百年、四粒飲むと千年、五粒飲むと一万年生き延びるのです。もし今日あなたのお祖父様《じいさま》が御病気になられて、この薬を飲みたいと云われたらどうなさいます。そうしてこの薬がないためにお祖父様《じいさま》が亡くなられたらどうなさいます。あなたはお祖父様《じいさま》のお命を取ったも同然ではありませんか。そんな大切なお薬を雀の生命を取るために使うなぞと、まあ何という乱暴な坊ちゃんでしょう。私はあなたのような方にこの薬をお返し申す訳に参りません」
 太郎さんは悪かったと思って、忽《たちま》ちワッと泣き出しました。泣きながら乞食に、
「何卒《どうぞ》どんな事でもしますから、その丸薬を返して下さい」
 と頼みましたが、乞食は意地悪く頭を左右に振るばかりです。
「イエイエ、御返しする訳には参りません。この薬は私が飲んでしまいます」
 と云う中《うち》に、乞食はその一粒をペロリと飲み込んでしまいました……と思うと、今までの乞食の汚い姿は見る間に変って、一人の立派な旅行商人《たびあきんど》の姿になりました。
 たった一粒の丸薬で乞食から急に旅行商人《たびあきんど》に変った姿を見ている太郎さんを見ながら、乞食の旅行商人《たびあきんど》はニッコリ笑いました。
「どうです、太郎さん、驚いたでしょう。私は一年前迄はこんな姿だったのです。こうして毎日毎日お薬を売って歩いたのです。売るお薬というのはたった五粒の丸薬で、名前を『若返り薬』というのでした。この薬を売って歩いて見ましたが、誰も本当にしてくれませんでした。
 その中《うち》にあなたのお祖父様《じいさま》ばかりは本当にして下さって、ねだんはいくらだとお尋ね下さいました。私が『一粒で一円、二粒で十円、三粒で百円、四粒で千円、五粒で一万円だ』と申しますと、『それではみんな買ってやるから、その中で一粒飲んで見ろ』と云うお話です。
 私は惜《おし》い事と思いましたが、一粒飲みますと見る間に一年分だけ若返りました。しかしお祖父様は『一年分だけ若返ったのではつまらぬから、今一粒飲んで十年分だけ若返って見せろ』と云う御注文です。
 私が御注文通りに十年程若返って御眼にかけると、お祖父《じい》さまはお喜びになって、『それではあと百年分を一万円で買おう』とおっしゃってお買い下すったのが残りの三粒でした。私はそれ
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