柔かい、可愛らしい両掌《りょうて》の中に、日一日と小さく小さく丸め込まれて行くのであったが、それにつれて又福太郎は、そうしたお作との仲が、炭坑《やま》中の大評判になっている事実を毎日のように聞かされて、寄ると触《さわ》ると冷やかし相手にされなければならなかったのには、少からず弱らされたものであった。しかもそんな冷かし話の中《うち》でも、「源次に怨まれているぞ」という言葉を特に真面目になって云い聞かせられるのが、好人物の福太郎にとっては何よりの苦手であった。
「源次という男は仕事にかけると三丁下りの癖に、口先ばっかりのどこまで柔媚《やわ》いかわからん腹黒男《はらぐろ》ぞ。彼奴《あやつ》は元来|詐欺賭博《いかさま》で入獄《いろあげ》して来た男だけに、することなす事インチキずくめじゃが、そいつに楯突《たてつ》いた奴は、いつの間にか坑《あな》の中で、彼奴《あいつ》の手にかかって消え失せるちう話ぞ。彼奴《あいつ》がソレ位の卑怯な事をしかねん奴ちう事は誰でも知っとる。彼奴《あいつ》に違いないと云いよる者も居るには居るが、なにせい暗闇の中で、特別念入りに殺《や》りよると見えて、証拠が一つも残っとらん。第一|彼奴《あいつ》は水道鼠のごとスバシコイ上に、坑長の台所に取り入っとるもんじゃけんトウトウ一度も問題にならずに済んで来とるが、用心せんとイカンてや。ドゲナ仕返しをするか解からんけになあ。元来お作どんの貯金ちうのがハシタの一銭まで源次の入れ揚げた金ちう話じゃけんのう!」
と親切な朋輩連中からシミジミ意見をされた事が一度や二度ではなかったが、そんな話を聞かされるたんびに頭の悪い福太郎はオドオドと困惑して心配するばかりで、ドンナ風に用心をしたらいいか見当が付かないので困ってしまった。
「……そげに云うたて俺が知った事じゃなかろうもん」
と涙ぐんで赤面したり、
「源次はそげな悪い人間じゃろうかなあ……」
とため息しいしい、夢を見るような眼付をして見せたりしたので、折角《せっかく》親切に忠告してくれる連中もツイ張合抜けがして終《しま》う場合が多かった。
しかし問題はそれだけでは済まなかった。福太郎は自分が源次に怨まれている原因が、単にお作に関係した事ばかりではない。それ以外にもモット重大な、深刻な理由があることを、それから後《のち》も繰り返し繰り返し聞かされなければならなかった。
……というのは外《ほか》でもなかった。
福太郎は元来何につけても頭の働きが遅鈍《のろ》い割に、妙に小手先の器用な性質で、その中でも大工道具イジリが三度の飯よりも好きであった。工業学校へ這入る時でも、最初建築の方を志望していたのを、死んだ両親に云い聞かせられて、不承不承に不得手《ふえて》な採鉱の方に廻ったお蔭で、ヤット炭坑から学資を出してもらう事が出来たのであったが、それでもチョイチョイ小遣を溜めては買い集めた大工道具の一式を今でもチャント納屋の押入に仕舞い込んでいる位で、どんなに疲れている時でも、頼まれさえすれば直ぐに、その箱を担いで出かけるという風であった。だから坑内の仕繰《しくり》の仕事なぞも、本職の源次よりかズット見込みが良い上に、馬鹿念を入れるので、出来上りがガッチリしていて評判がなかなかよかった。現にタッタ今|潜《くぐ》って来た炭坑の大動脈ともいうべき斜坑の入口なぞも、去年の夏頃に源次が一度手を入れたものであったが、間もなくその源次が風邪を引いて寝ているうちに、いつの間にか天井の重圧《おもみ》で鴨居が下って来て、炭車《トロッコ》の縁とスレスレになっていたので、知らないで乗って来た坑夫の頭が二ツも暗闇の中でブッ飛んでしまった。そこで取り敢ず福太郎が頼まれて指導者《サキヤマ》になって手を入れた結果、ヤット炭車《トロッコ》の縁から一尺許りの高さに喰止めたものであったが、その時に、源次が材料を盗んで良《い》い加減な仕事をしてさえいなければ、モウ二尺位上の方へ押上げられるであろう事が、立会っていた役員連中の眼にもハッキリと解ったのであった。
こうした福太郎の晴れがましい仕事ぶりが、炭坑中に知れ渡らない筈はなかった。……と同時に本職の源次から怨まれない筈はないのであった。
源次はこうして、ホンの駈出しの青二才に、仕事の上で大きな恥を掻かされた上に、入揚げた女まで取られてしまったのだから、何とかして復讐《しかえし》をしなければ引込みの付かない形になってしまっているのであったが、しかしそこがチャンチャン坊主と云われた源次の特徴であったろうか、それとも源次が皆《みんな》の思っているよりもズット怜悧《りこう》な人間であったせいであろうか。気の早い炭坑連中からイクラ冷笑《ひやか》されても、腰抜け扱いされても、源次は知らん顔をしていたばかりでなく、却《かえ》ってそれから後
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