て来た第二の炭車《トロッコ》が、先頭の炭車《トロッコ》に押戻されて、空《くう》を探る蚕《かいこ》のように頭を持上げたが、そのまま前後の炭車《トロッコ》と一緒にユラユラと空中に浮き上って、低い天井と、向う側の岩壁を突崩《つきくず》し突崩し福太郎に迫り近付いて来た。そうして中腰になったまま固くなっている福太郎の胸の上に、濡れた粉炭の堆積をドッサリと投掛けて、一堪《ひとたま》りもなく尻餅を突かせると、その眼の高さの空間を、歪み曲った四ツの炭車《トロッコ》が繋がり合ったまま、魔法の箱のようにフワリフワリと一週して、やがて不等辺三角形に折れ曲った一つの空間を作りつつ、福太郎の身体《からだ》を保護するかのように徐々《しずしず》と地面へ降りて来た。それに連れて半分|粉炭《こなずみ》に埋もれた福太郎の安全燈《ラムプ》が、ポツリポツリと青い光りを放ちつつ、消えもやらずに揺らめいたのであった。
けれどもその安全燈《ラムプ》の光りは、やがて又、赤い煤《すす》っぽい色に変るうちに、次第次第に真暗くなって消え失せてしまったかと思われた。それはこの時福太郎の頭の上から、夥しい石の粉が、黒い綿雪のようにダンダラ模様に重なり合って、フワリフワリと降り始めたからであった。そうしてその黒い綿雪が、福太郎の腰の近くまで降り積って来るうちに、いつの間にか小降りになって、やがてヒッソリと降り止んだと思うと、今度はその後から、天井裏に隠れていた何千貫かわからない巨大《おおき》な硬炭《ボタ》の盤が、鉄工場の器械のようにジワジワと天降《あまくだ》って来て、次第次第に速度を増しつつ、福太郎の頭の上に近付いて来るのが見えた。そうしてやがてその硬炭《ボタ》の平面が、福太郎の前後を取巻く三つの炭車《トロッコ》に乗りかかると、分厚い朝鮮松の板をジワリジワリと折り砕きながらピッタリと停止した……と思うとそのあとから、又も夥しい土の滝が、炭車《トロッコ》の外側に流れ落ちて来たのであろう。山形に浮上った車台の下から、濛々《もうもう》とした土煙がゆるゆると渦巻きながら這込み始めて、安全燈《ラムプ》の光りをスッカリ見えなくしてしまったのであった。
その時に福太郎はチョット気絶して眼を閉じたように思った。けれどもそれは現実世界でいう一瞬間と殆んど同じ程度に感じられた一瞬間で、その次の瞬間に意識を恢復した時に福太郎はヒリヒリと痛む眼を一パイに見開いて、唇をアーンと開いたまま、落盤に蓋をされた炭車《トロッコ》の空隙に、消えもやらぬ安全燈《ラムプ》の光りに照し出されている、自分自身を発見したのであった。同時に、その今までになく明るく見える安全燈《ラムプ》の光明《ひかり》越しに、自分の左右の肩の上から、睫《まつげ》を伝って這い降りてくる、深紅の血の紐《ひも》をウットリと透かして見たのであったが、それが福太郎の眼には何ともいえない美しい、ありがたい気持のものに見えた。しかもその真紅の紐が、無数のゴミを含んでブルブルと震えながら固まりかけているところを見ると、福太郎が気絶したと思った一瞬間は、その実かなり長い時間であったに相違ないが、それでもまだ救いの手は炭車《トロッコ》の周囲《まわり》に近付いていなかったらしく、そこいら中が森閑《しんかん》として息の通わない死の世界のように見えていた。そうしてその中に封じ籠められている福太郎は、自分自身がさながらに生きた彫刻か木乃伊《ミイラ》にでもなったような気持で、何等の感情も神経も動かし得ないまま、いつまでもいつまでも眼を瞠《みは》り、顎を固《こわ》ばらせているばかりであった。
ところがそうした福太郎の眼の前の、死んだような空間が、次第に黄色く明るくなったり、又青白く、薄暗くなったりしつつ、無限の時空をヒッソリと押し流して行ったと思う頃、一方の車輪を空に浮かした右手の炭車《トロッコ》の下から、何やら黒い陰影が二つばかりモゾリモゾリと動き出して来るのが見えた。そうしてそれがやがて蟹《かに》のように醜い、シャチコ張った人間の両手に見えて来ると、その次にはその両手の間から塵埃《ごみ》だらけになった五分刈の頭が、黒い太陽のように静かにゆるぎ現われて来るのであった。
その両手と頭は、炭車《トロッコ》の下で静かに左右に移動しながら、一生懸命に藻掻《もが》いているようであった。そうしてようようの事で青い筋の這入った軍隊のシャツの袖口と※[#「┐」を全角大とした、屋号を示す記号、331−6]《カネ》サの印を入れた半纏《はんてん》の背中が半分ばかり現われると、そのままソロソロと伸び上るようにして反《そ》り返りながら、半分土に埋もれた福太郎の鼻の先に顔をさし付けたのであった。
それは源次の引攣《ひきつ》り歪んだ顔であった。汗と土にまみれた……。
福太郎はしかし身動きは愚か、眼
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