大鉄鎚《おおかなづち》をシッカリと握り締めていたが、その青黒い鉄の尖端からは黒い血の雫《しずく》が二三本、海藻《うみも》のようにブラ下っているのであった。
 そんな光景を見るともなく見まわしているうちに福太郎は、ヤット自分が仕出かした事が判然《わか》ったように思った。そうして何のためにコンナ事をしたのか考えようとこころみたが、どうしても前後を思い出す事が出来ないので、今一度部屋の中をキョロキョロと見まわした。その時にラムプの向う側からバタバタと走り出て来たお作が、殆んど福太郎に打《ぶ》っ突かるようにピッタリ縋《すが》り付いたと思うと、酔いも何も醒め果てた乱れ髪を撫で上げながら、半泣きの声を振り絞った。
「……アンタ――ッ……どうしたとかいなア――ッ……」
 すると、それに誘い出されたように五六人の男がドカドカと福太郎の周囲《まわり》に駈け寄って来て、手に手に腕や肩を捉えた。
「どうしたんかッ」
「どうしたんかッ」
「どうしたんかッ」
 しかし福太郎は返事が出来なかった。現在眼の前にブッ倒れている源次の頭でさえも、自分が砕いたものかどうか、ハッキリと考え得なかった。そうしてその代りにタッタ今まで感じていた割れるような頭の痛みと、タマラない全身の悪寒戦慄《ぞくぞく》が、あとかたもなく消え失せてしまって、何ともいえない気持のいい浮き浮きした酒の酔い心地が、モウ一度ムンムンと全身に蘇《よみがえ》って来るのを感じたので、吾知らずウットリとなって、血だらけの鉄鎚《かなづち》を畳の上に取落して汚れた両手でお作を引寄せながら天井を仰いだ。
「……ハハハ……どうもしとらん……アハハハハハハ……」



底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年9月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」春陽堂
   1933(昭和8)年5月15日発行
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2005年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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