て炭車《トロッコ》に乗る事を厳禁されていたので、その炭車《トロッコ》に誰かが乗っていて、福太郎が上《あが》って来るのを見かけて故意にケッチンのピンを抜いたろう……なぞいう事は誰一人想像し得る者がなかった。又カンジンの御本尊の福太郎も、烈しい打撃を受けた後の事とて、その炭車《トロッコ》に誰が乗っていたか……なぞいう事はキレイに忘れてしまっていたばかりでなく、自分が何のために、どうして斜坑を歩いていたかすら判然《はっきり》と思い出せなくなっていたので、ヤット気が落ち付いて皆の話が耳に止まるようになると、一も二もなく皆の云う通りの事実を信じて、驚いて、呆れて、茫然となっているばかりであった。
そんな状態であったから結局、出来事の原因は解らないずくめになってしまって、福太郎の遭難も自業自得といったような事で、万事が平々凡々に解決してしまった。その後《あと》で他所《よそ》から帰って来た炭坑医も、福太郎の疵があんまり軽いのを見て笑い笑い帰って行った位の事だったので、集っていた連中もスッカリ軽い気持になって、ただ無闇《むやみ》と福太郎の運のいいのに驚くばかりであった。そうして揚句《あげく》の果は、
「お前《めえ》があんまり可愛がり過ぎるけんで、福太郎どんが帰りを急ぐとぞい」
とお作が皆《みんな》から冷やかされる事になったが、流石《さすが》に海千山千のお作もこの時ばかりは受太刀《うけだち》どころか、返事も出来ないまま真赤になって裏口から逃げ出して行った位であった。
しかしお作はそれでも余程嬉しかったらしい。その足で飯場《はんば》から酒を二升ばかり提《さ》げて来て、取りあえず冷《ひや》のまま茶碗を添えて皆の前に出した。すると又、それに連れて済まないというので、手に手に五合なり一升なり提げて来る者が出て来る。自宅《うち》の惣菜や、乾物《ひもの》の残りを持込んで、七輪を起す女連《おんなづれ》も居るという訳で、何や彼《か》や片付いた十一時過になると福太郎の狭い納屋の中が、時ならぬ酒宴《さかもり》の場面に変って行った。
「小頭どん一つお祝いに……」
「オイ。福ちゃん。あやかるで」
「生命《いのち》の方もじゃが、ま一つの方もなあ。アハハハ……」
といったような賑やかな挨拶がみるみる室《へや》の中を明るくした。それに連れて後から後から福太郎に盃を持って来る者が多かったが、その中《うち》で
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