黙って見ている訳にはドウしても行かなかった。……のみならずあの中折のインバネスがタッタ一人でニヤリと洩らした、あの微笑の物スゴさばっかりは、どうしても忘れられなかった。あの笑い方はタダの笑い方じゃなかった。マンマと首尾よく女を欺し上げた事を喜ぶ以上の深刻な或る意味が含まれているようで、今まで見た芝居の悪党笑いのドレにも当てはまらないものである事を万平はハッキリと見て取っていた。何かしら今夜、あの材木置場《おきば》[#ルビは「材木置場」にかかる]で、あの娘の身の上に、大変な事が起りそうな気がする。それに気附いているのは、広い世界にタッタ俺一人なのだ。しかも、その俺の心配を誰も相手にしてくれる者は居ないのだ。……そうだ。俺は今夜、一番、生命《いのち》がけの冒険をやって、その大間違いを喰い止めなければならない主役《たてやく》なのだ……そう思うと万平は胸がドキドキして仕様がなかった。
 万平は元来、非常な臆病者であった。夜中に便所の窓から材木置場《おきば》[#ルビは「材木置場」にかかる]を覗いて見ただけでもゾッとする位であった。
 あんな光景《もの》を見なければよかった。今夜まで何も知らずに寝
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