芝居狂冒険
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)末期《いまわ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)芝居|狂《きちがい》で、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「(全−王)/川」、269−6]《やまかわ》
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「末期《いまわ》の際《きわ》にタッタ一言……タタタ、[#底本では「、」が脱落]タッタ一言……コレエ……」
万平は板を並べ換える片手間に、奇妙な声を出して頭を振り立てた。洗い晒《ざら》しの印袢纏《しるしばんてん》に縄の帯。豆絞りの向う鉢巻のうしろ姿は打って付けの生粋《いなせ》な哥兄《あにい》に見えるが、こっちを向くと間伸《まの》びな馬面《うまづら》が真黒に日に焼けた、見るからの好人物。二十七八に見えるが、物腰は未だ若いらしい。材木屋|※[#「※」は「(全−王)/川」、269−6]《やまかわ》の若い者で、蔭日陽《かげひなた》なく働く好人物《おひとよし》であるがタッタ一つの病気は芝居|狂《きちがい》で、しかも女形《おんながた》を以《もっ》て自任しているのが、玉に疵《きず》と云おうか、疵に玉とでも云うのか。皆から冷かされるのを真《ま》に受けてイヨイヨ芝居熱を上げるという超特級の難物である。きょうも仕事がないままに、材木置場を片付けながら、そこいらの安芝居の科白《せりふ》を一生懸命に復習しているのだ。
震災前の飯田町駅附近は一面の材木置場になっていた。杉丸太、竹束、樅板《もみいた》なぞが、次から次へ涯《は》てしなく並んで、八幡《やはた》の籔《やぶ》みたように、一旦、迷い込んだら出口がナカナカわからない。その立並んだ樅板が万平には書割《かきわり》に見えたり、カンカン秋日の照る青空が花四天に見えたりするのであろう。二三|町《ちょう》四方人気のないのを幸いに、杉板の束を運び集めながら、新派旧派の嫌いなく科白《せりふ》の継ぎ剥ぎを復習《おさらい》し続けて行く。
「我が日の本の魂が、凝《こ》り固まったる三尺の秋水《しゅうすい》。天下|法度《はっと》の切支丹《きりしたん》の邪法、いで真二《まっぷた》つに……」
万平はフッと科白《せりふ》を中止した。スグ向うに並んだ松板の間からチラリと見えた赤い物に気が付いたからであった、担《かつ》いでいた杉皮の束を、鋸屑《おがくず》の山盛りの上に置くと、ハテナという思い入れ宜しくあって抜足さし足も半分、芝居がかりに壁のように並んだ松板の蔭に近寄った。その隙間《すきま》からソッと向うの竹束の間の空地を覗いたが、忽ち眼を丸くして舌をダラリと垂らした。
竹束の前の大きな欅《けやき》の角材に腰をかけたインバネスに中折帽の苦み走った若い男が、青ざめた澄ました顔をして金口煙草《きんくち》[#ルビは「金口煙草」にかかる]に火を点《つ》けている。その横に下町風の大|桃割《ももわれ》に結った娘が、用足しに出た途中であろう。前垂《まえだれ》をかけたまま腰をかけて、世にも悩ましく、媚《なま》めかしく、燃え立つような頬と眼を輝かせながら、男に凭《もた》れかかっている。
二人は同時に素早く前後左右を見まわした。万平が材木の間から耳を尖《と》んがらして聞いているとも知らずに、頬をスリ寄せて何かヒソヒソと話し初めた。
「……それじゃクニちゃん……今夜、飯田町から……」
「ええ……終列車がいいわ……」
「ここで待っているよ」
「ええ。すこし遅くなるかも知れないわ。お父さんが寝るのが十一時頃だから、それから盗み出して着物を着かえて来ると、十二時が過ぎるかも知れないわ」
「終列車は一時十分だから……」
「そんなら大丈夫よ。二千円ぐらい有ってよ。明日《あした》銀行へ入れるのが……ホホ……足りないか知ら……」
「ハハハ。余る位だ。朝鮮に行けばね……」
「キットここで待っててね」
「……クニちゃん……」
「……竜太さんッ……」
万平はビックリして又覗いた。
「……………」
「……………」
娘はお尻の鋸屑を払い払い名残《なごり》惜しそうに立上った。イソイソと小走りに材木の間を出て行った。
あとを見送った中折帽の男は、舌なめずりをしながらそこらを見まわした。白い歯を出してニンガリと笑ったが、それは如何にも色魔らしい物凄い笑顔であった。そのまま、細いステッキを振り振り俎橋《まないたばし》の方へ抜けて行った。
万平は材木の隙間から飛退《とびの》いた。その隙間をジイッと睨んで腕を組んだ。芝居の事も何も忘れたらしく真青になって考え込んでいたが、そのまま鉢巻を解いて眉深《まぶか》く頬冠《ほおかむり》をした。材木の間を右に左に抜けて飯田町の裏通りへ出た。すこし芝居がかり
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