の腰付でソオッと左右を見まわした。
 往来は日が暮れかかっていた。はるか向うの飯田町の機関庫の裏道を、今の桃割の娘が急いで行く。
 万平は大急ぎでアトを追《おっ》かけた。近くなると見え隠れに随《つ》いて行った。

 娘はガードを潜って、水道橋を渡って、築地八幡の近くの只有《とあ》る横露路を這入《はい》った。万平も続いて曲り込んだ。
 桃割娘のクニちゃんは、横露路の突当りに在る、暗い小格子を開けて中に這入った。小格子の前には「質屋」と書いた古ぼけた看板と、丸柿《まるがき》庄六と書いた新しい標札が掛かっていた。
 万平はその前に突立って、どうしていいかわからないらしく、腕を組んだままキョロキョロしていた。
 小格子の中から禿頭《はげあたま》の親爺《おやじ》が出て来た。見るからに丸柿庄六と名乗りそうな面構《つらがま》えで、手に草箒《くさぼうき》を一本|提《さ》げていたが、万平を見ると胡乱《うろん》臭そうにジロリと睨んで立止まって、ガッチリとした渋柿面《しぶがきづら》をして見せた。
 万平は狼狽して頬冠を取った。ペコペコとお辞儀をした。
「……あの……ちょっと……お伺い申しますが……あの……」
「……ハイ。何の御用ですか」
「ええ。その……何で御座います。その……今……お帰りになりましたのは……その……エヘヘ……こちらのお嬢様で……」
「……………」
 禿頭の丸柿|親仁《おやじ》は返事をしなかった。汗を掻いてペコペコしている万平の姿を見上げ見下した。いよいよ苦々しい顔になってギョロギョロと眼を光らし初めた。噛んで吐き出すように、ハッキリと云った。
「左様《さよう》です。私の娘です。何か御用ですか」
 万平はホッと胸を撫で下した。ヤタラに汗を拭いた。
「……ああ、助かった。やっと安心した」
 丸柿親爺の顔が、禿頭《はげあたま》の下で二三寸伸びた。万平の顔を穴のあく程見詰めた。
 万平も負けずに顔の寸法を伸ばした。やはり穴の開く程、相手の顔を見返していたが、突然、その顔を近付けると、眼を丸くして声を落した。
「……タ……大将……大変ですぜ。お嬢さんはね。どっかの色男と……今夜、駈落《かけおち》の相談を……」
 万平の眼から火花が飛んだ。頭がクラクラとなった。頬を打たれて突飛ばされたのだ。万平は泥濘《ぬかるみ》の中に尻餅《しりもち》を突いたまま、相手の顔を茫然と見上げていた。
 禿頭《はげあたま》は草箒を構えて睨み付けた。
「……馬鹿野郎……あっちへ行け……」
 万平は禿頭《はげあたま》の見幕に震え上った。起上りながら後退《あとじさ》りをした。その時に最前の娘が、暗い小格子からチラリと顔を出した。
 万平は横ッ飛に逃出した。

 万平はお尻を泥ダラケにしたまま、腕を組んで考え考え歩いた。
 頭の中が心配で一パイになって、どこをどうあるいたのかわからなかったが、背後《うしろ》から人が笑うような声がしたので、フト頭を上げてみると俎橋の警察の前に来ている事に気が付いた。万平はそこで又、暫く考えていたが、思い切って、警察の前の石段を上って行った。
 警察の中では巡査が三人、机越しに向い合って欠伸《あくび》をしていた。万平が這入って来ると三人が三人とも、万平のお尻にベッタリとクッ附いている泥に眼を付けた。
 万平は何がなしにピョコピョコとお辞儀をした。
「何か……何しに来たんか……」
「ヘイ、ヘイ、それが……そのお願いに参りましたんで……」
「何だ。喧嘩したんか」
「いいえ。そんなんじゃ御座んせんので実は……その何なんで……」
「何でも良い。云うて見い」
 万平は又もヒョコヒョコお辞儀しながら、吃り吃り事情を話した。
「ヘイ。そんな訳なんで……どうもあすこの材木置場って奴はロクな処じゃねえんで……変な野郎や阿魔《あま》ッ子の巫戯《ふざけ》場所になっておりやすんで……ヘイ。ツイこの間も人殺しがオッ初《ぱじま》りかけた位なんで……ヘイ。だから今夜もアブネエと思うんでげす。片ッ方の野郎が、どーも尋常《ただ》の野郎じゃねえと思うんで……。娘ッ子の方は何も知らねえらしいんで……ヘイ。どうぞ……どうぞ助けてやっておくんなさい」
 万平は進み寄って、警官の前の机に両手を支《つ》いて繰返し繰返しお辞儀をしては汗を拭った。
 警官は三人ともニヤニヤと笑った。
 若い上役らしい金筋の這入った一人が、煙草に火を点《つ》けて悠々と烟《けむり》を吐いた。
 色の黒い人相の悪い一人はシンミリと鼻毛を抜き初めた。突然大きな声で……ファークション……と云った。
 今一人はチャップリン髭を撫でながら、眼を細くして云った。
「……よしよし……わかったわかった……安心して帰れ」
 万平は張合い抜けがしたように、三人の警官を、見まわした。シオシオと頸低《うなだ》れて出て行った。外はモウ真暗
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