、芸術の行き止まりに存在するものでなければならぬ。一切の机上の空論、中途半端な観念が何等の用もなさぬ真実の無間地獄……と聞いてはいるが、まだ実際に見た事はない。しかも実さんの舞台上の妖気は如実に、そうした虚無世界の存在を証明している……否……その意味で見なければ実さんの能は何等の価値をもあらわさないのだ。
 南無阿弥陀仏と言いたくなるその妖気……その虚無世界……その中にさまよう実さんの芸的ルンペンぶり。
 実さんは嘗て、いろいろな人の芸風を評した後にコンナ事を言った事がある。「アトに印象の残る能は能とは言えないね」と……これは一切の芸術界に対してこの上もなく不遜※[#「にんべん+濳のつくり」、450−上−6]越な反逆的言辞とも思われようが、しかし筆者は思わず頭を下げたのであった。万古の真理と思ったからである。そうして付け加えた。「能はそうした表現を生み出すために存在しているのだね」と。敢えてここに記して置く。
 これを要するに実さんの芸は下手である。下手も下手、この上に洗練しようのない下手である。どうにも救いようのないルンペン的下手である。だから六平太先生も、あまり実さんには苦情を言わ
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング