舞えなくなりはしまいか……といったような気がしたので……。
女というものの気持はエタイがわからない。だから魅力があるのだ。と西洋の頭のいい奴が言ったそうである。だから実さんの能にあらわれる妖気もエタイがわかったら魅力がなくなるかも知れぬ。
実さんの風采は何だか能楽師らしくない。剣劇の親分か、ジゴマのエキストラみたいなスゴイ処がある。しかしよく気を付けてみると実さんの舞台上の妖気はその風采から出て来るのではない。その証拠には平常向い合って話していると、あの風采がソックリそのまま、実にタヨリない、涙ぐましい位のお坊ちゃんに見えて来る。無論、喧嘩なんぞは絶対に出来ないヘロヘロ腰の臆病者で、精神的のスゴミなんぞはミジンもない。
ところが実さんの能を見ると、六平太先生や粟谷、後藤の諸先生はもとより、他流の諸先生の何人とも全然違ったスゴ味が全体に横溢している。桜間金太郎氏の演出なぞは素人眼にはスゴミが横溢しているようであるが、よく見ているとそのスゴ味は金春一流の意識的な気合い(アテ気と言っては過ぎる)から生まれたものであることが次第次第にわかって来る。これに反して実さんのは表面的にパッと来る
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