服を着ていたのですから……。
 ところが、それがたった一夜の間に、こんな老人《としより》になってしまったのです。
 詳しく申しますと、今年(大正七年)の、八月二十八日の午後九時から、翌日の午前五時までの間のこと、……距離で云えば、ドウスゴイ附近の原ッパの真中に在る一ツの森から、南へ僅《わず》か十二|露里《ろり》(約三里)の所に在る日本軍の前哨《ぜんしょう》まで、鉄道線路伝いによろめいて来る間のことです。そのあいだに今申しました……不可思議な「死後の恋」の神秘力は、私を魂のドン底まで苦しめてこんな老人《としより》にまで衰弱させてしまいました……。……どうです。このような事実を貴下《あなた》は信じて下さいますか。……ハラショ……あり得ると思われる……と仰言《おっしゃ》るのですね。オッチエニエ、ハラショ……有り難い有り難い。
 ところで最前も一寸《ちょっと》申しました通り、私はモスコー生まれの貴族の一人息子で、革命の時に両親を喪《うしな》いましてから後《のち》、この浦塩へ参りますまでは、故意《わざ》と本名を匿《かく》しておったのですが、あまり威張れませんが生れ付き乱暴なことが嫌いで、むしろ戦争なぞは身ぶるいが出る程好かなかったのです。然《しか》し今申しましたペトログラードの革命で、家族や家産を一時に奪われて極端な窮迫に陥ってしまいますと、不思議にも気が変って参りまして、どうでもなれ……というような自殺気分を取り交《ま》ぜた自暴自棄の考えから、一番嫌いな兵隊になったのですが、それから後《のち》幸か不幸か、一度も戦争らしい戦争にぶつからないまま、あちらこちらと隊籍をかえておりますうちに、セミヨノフ将軍の配下について、赤軍《せきぐん》のあとを逐いつつ、御承知でも御座いましょうがここから三百露里ばかり距《へだ》たった、烏首里《ウスリ》という村へ移動して参りましたのが、ちょうど今年の八月の初旬の事でした。そうしてそこで部隊の編成がかわった時に、このお話の主人公になっているリヤトニコフという兵卒が私と同じ分隊に這入ることになったのです。
 リヤトニコフは私と同じモスコー生れだと云っておりましたが、起居動作が思い切って無邪気で活溌な、一種の躁《はしゃ》ぎ屋と見えるうちに、どことなく気品が備わっているように思われる十七、八歳の少年兵士で、真黒く日に焼けてはいましたけれども、たしかに貴族の
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