。
徳市は躊躇しいしいあとから這入って行った。
憲作は暗い階段をいくつも上った。天井裏のような処まで来ると、そこにある安ストーブの前に椅子を二つ持って来て並べながら徳市にストーブを焚《た》けと命じた。
徳市は面《おもて》を膨らした。
憲作は睨み付けた。
徳市は渋々シャベルを執《と》って壁際に散らばっている石炭を掻き集めた。
憲作はニヤニヤと笑った。
徳市はストーブに火を入れてよごれたハンケチで拭いた。
憲作は近寄って徳市のポケットの中から二枚の切符と名刺の箱を引き出した。
徳市は慌てて取り返そうとした。
憲作は手を引こめながら切符を見るとニヤリと笑って一枚を徳市に返した。徳市に椅子を進めて自分も向い合いに腰をかけた。
徳市はしょげ返って腰をおろした。
憲作は徳市の名刺を見た。
┌──────┐
│ 足達徳市 │
└──────┘
憲作は名刺の箱を徳市に返しながら肩をたたいた。
とうとう貴様も悪党になったな……
しかも凄い腕じゃないか……
徳市は小さくなってうなだれた。
憲作はそり返って笑った。
アッハッハッハ……色男……
まあそう屁古垂《へこた》れるな……
おれが力になってやる……
あの娘と夫婦《いっしょ》にしてやる……
徳市は頭を擡《もた》げて恨めし気に憲作を睨んだ。
憲作は睨み返した。ポケットから大きな黒いピストルを出して見せた。徳市の顔に自分の顔を寄せて云った。
その代り……
嫌だと云えあ……
これだぞ……
徳市は又うなだれ[#「うなだれ」に傍点]た。ブルブルと顫《ふる》えた。眼から涙を一しずく落した。
憲作はジッと徳市の様子を見てうなずいた。ピストルを引っこめて代りに札の束を出した。儼然《げんぜん》として云った。
心配するな……
サアこれを遣る……
この金でおれの指図通りに仕事をしろ……
でないともう智恵子に会えないぞ……
徳市は手を引っこめて小さくなった。
憲作は右手にピストル左手に札の束をさし付けてニヤリニヤリと笑った。
―― 12[#「12」は縦中横] ――
帝劇のステージで智恵子は大喝采の中に持ち役をつとめ終った。
徳市はフロックコートに絹帽《シルクハット》を冠って花束を持って楽屋に待っていた。
智恵子は母時子の手に縋《すが》って這入って来た。徳市の花束を受けると涙ぐましい程喜んで母に見せた。
徳市は智恵子|母子《おやこ》に立派な服装をした老紳士を紹介した。
私の叔父です……
足達|万平《まんぺい》と申します……
父同様のもので……
万平は鷹揚な態度で名刺をさし出しながら、
お近付きに……
お茶を一ツ……
お差し支えなければ……
と二階の食堂の方を指した。
智恵子母子は感激に満ちたお辞儀をした。
―― 13[#「13」は縦中横] ――
四人の席は帝劇の食堂で注目の焦点となった。
王冠堂の番頭久四郎は友達二人とはるか向うの席でビールを飲んでいたが、四人の姿を見ると驚いてフォックを取り落した。
友達は怪しんで理由《わけ》を尋ねた。
久四郎は顔をじっと伏せて友達の顔を見まわした。苦笑しながら唇に手を当てた。
智恵子|等《ら》四人は立ち上った。
万平は徳市に眼くばせをした。智恵子|母子《おやこ》に向い叮嚀に一礼して別れを告げた。
徳市は不満そうな顔をして頭《かしら》を下げた。
智恵子母子は二人を引き止めた。
まあこのままでは……
是非宅まで……
何も御座いませんけど……
お忙しいところ恐れ入りますけど……
万平は徳市に眼くばせ[#「くばせ」に傍点]しながら一二度辞退した。
徳市はワナワナきょろきょろした。
万平はとうとう承知した。
三人は喜んだ。万平を取り巻いて自動車に乗り込んだ。
二三名の紳士が智恵子のあとを見送って眼を丸くし合った。
凄い腕だな……
驚いた……
あの男嫌いが……
―― 14[#「14」は縦中横] ――
万平と徳市は星野家で晩餐の御馳走になった。
万平は帰りともながる徳市を引立てるようにして暇《いとま》を告げた。
―― 15[#「15」は縦中横] ――
徳市は単身背広姿で星野家を訪れた。
智恵子|母子《おやこ》は引き止めてなれなれしくもてなした。
徳市は盛んに母子の機嫌を取った。すっかり母子と打ち解けてしまった。
母親の時子は徳市を深く信用したらしく真面目な内輪《うちわ》の話を初めた。
徳市は勿体ぶって軽くうなずきながら聞いた。幾度かあくびを噛み殺した。
時子は熱心に話を進めて最後に云った。
今手許にある株券を……
三万円
前へ
次へ
全12ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング