てお辞儀をした。
では……
あの……
御免遊ばして……
令嬢はケースの中から最前憲作が撰り出した最大のダイヤを抓《つま》み上げた。指にはめてみるとちょうどよかった。如何にも気まり悪そうに徳市の顔を見て笑った。
あの……
これを頂いても……
よろしゅう御座いましょうか……
徳市は溶《とろ》けるような顔をしてうなずいた。
貴婦人と令嬢は深い感謝の表情をした。
貴婦人は番頭の久四郎に指環の価格をきいた。
久四郎は慌ててペコペコし出した。
ヘイ……
一千二百円で……ヘイ……
毎度どうも……ヘイ……ヘイ……
貴婦人は手提《てさげ》から札の束を出して勘定して久四郎に渡した。
久四郎は今一度勘定して受け取った。ダイヤの指環をサックに入れて渡しながら盛んに頭を下げた。
徳市はボンヤリ見とれていた。
令嬢は手提から小さな名刺を出して一礼しながら徳市に渡した。
あの……
まことに失礼で御座いますが……
わたくしはこのようなもので……
唯今はまことに……
徳市は名刺を受け取った。同時に自分の名刺のない事に気が附いてハッとした。
憲作はすかさず自分の名刺を出して二人の婦人に徳市を紹介した。
徳市はホッとしながら様子ぶって一礼した。
貴婦人と令嬢は受け取った名刺を見ると一層叮嚀に恐縮した。
まあ存じませんで失礼を……
どうぞお序《ついで》でも御座いましたら……
お立ち寄りを……
徳市は鷹揚《おうよう》にうなずいた。
二人の婦人は去った。
憲作は徳市に向って叮嚀に云った。
ちょっと唯今のお名刺を……
徳市は吾れ知らず握り締めていた。
――下六番町十九番地 星野智恵子――
徳市はこの間の新聞にソプラノの名歌手として載っていた智恵子の肖像を思い出した。
憲作はその名刺を横からソッと取って見た。
徳市の顔を意味あり気に見ながらニヤリと笑った。
この名刺は私がお預り致しておきましょう。
徳市は不平そうにうなずいた。
憲作は平気な顔で又ダイヤを撰《よ》り初めた。最も光りの強い新型に磨いたダイヤ入りの指環を撰《え》り出して徳市に見せた。
これはいい……
これはいかがで……
徳市はボンヤリとうなずいた。
憲作は久四郎に価格をきいた。
久四郎は揉み手をした。
四千七百円で御座います……
当店で最上の質のいいダイヤで御座いまして……
憲作は内ポケットから大きな金入れを出して百円札を念入りに勘定して久四郎に渡した。代りにサックに入れた指環を受け取った。
久四郎は札を勘定し初めた。途中でちょっと躊躇して眼を伏せたが又初めから静かに勘定し初めた。
憲作はサックに入れた指環を一度あらためて、サックの上から新しい半巾《ハンケチ》で包んで恭《うやうや》しく徳市に渡した。
徳市は夢のように受け取った。そのままポケットに仕舞った。
久四郎は別室でお茶を差し上げたいからと云って二人を案内した。
憲作は急ぐからと断りながら札の残りを調べ終ると久四郎が止めるのもきかずに店を出た。表の自動車に乗って去った。
徳市も帰ろうとするのを久四郎は無理に止めた。
つまらぬものですが……
お土産に差し上げたいものが御座いますので……
是非お持ち帰りを……
どうぞこちらへ……
―― 7 ――
徳市は無理やりに応接間のような処へ連れ込まれた。
久四郎は出て行った。
給仕女が這入って来て徳市の前に珈琲《コーヒー》を置いて去った。
久四郎は最前の札を持って急いで這入《はいっ》て来た。
まことに恐れ入りますが……
只今の指環を今一度チョト拝見さして頂きとう御座います……
余計に頂いておりますようですから……
徳市はサックを渡した。
久四郎は受け取ってハンケチを解き初めた。非常に固く結んであるのを解いてサックを開くと空《から》であった。
徳市はビックリして立ち上った。
久四郎は素早く室《へや》から飛び出してあとをピッタリと締めて鍵をかけた。
徳市は狼狽して中から大声を揚げた。扉を動かしたがビクともしなかった。床の上にペタリと坐った。頭を抱えた。
久四郎と私服巡査が扉を開いて這入って来た。眼の前に徳市が坐っているので驚いて後退《あとじさ》りをした。
久四郎は私服巡査に札《さつ》を見せた。
この通り贋《に》せもので……
この男が共犯なので……
徳市は縮こまった。
私服巡査は徳市の両手を捉えて手錠をかけた。
立て……
徳市は老人のように頭を下げて腰をかがめて歩き出した。
外へ出ると私服巡査は徳市を突き飛ばした。
こっちだ……
―― 8 ――
徳市は警察に来るとすっかり酔いが
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