江戸川乱歩氏に対する私の感想
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)コキ下《おろ》され
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)正しい感謝のしかた[#「しかた」に傍点]
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江戸川乱歩氏に「久作論」を頼んだから、私はそれに対する「乱歩論」を書けという註文が猟奇社から来ました。
私はとりあえずドキンとしましたが、あとから直ぐに「これは書けない」と思いました。
乱歩氏は私の未見の恩人の一人なのです。
乱歩氏はズット前に、私が生れて初めて書いた懸賞探偵小説を闇から闇に葬るべく、思う存分にコキ下《おろ》されました。又、一昨年、私が或る老婦人の手記を中心にした創作を書いた時には口を極めて賞讃されました。もっとも後者はつまるところ、その手記を私に提供した老婦人の手柄になった訳ですけれども、いずれにしても縁もゆかりもない一素人の投稿作品を、あんなにまで徹底的に読んであんなにまで真剣に批判して下すった同氏の、芸術家としての譬《たと》えようのない、清い高い「熱」によって、私がどんなにまで鞭撻《べんたつ》され、勇気付けられ、指導されたか……という事は、私自身にも想像が及ばないでいるのです。
そのような恩人の作品を公開的に批評する事が、どうして私に出来ましょう。
さもなくとも乱歩氏は当代、探偵小説界の大先輩で居られるのに、これに対する私は後進も後進……一介の愛読者に過ぎない程度の者です。そのような立場の者です。たとい頼まれたにしても公々然と名前を出して、大先輩と取り組み合うというような非常識な事が、どうして出来ましょう。世間の物笑いの種になる事が、わかり切っているではありませぬか。
そればかりではありません。元来、私は、中学を末席で出ただけの無学な者で、文壇の傾向とか、芸術の批判とかいうような理屈ばった事には頭を突込む資格のない……ただ色々なものを勝手に読んだり、書いたりするのが楽しみというだけの野生的な利己主義者らしいのです。批評の標準も持たなければ、説明の形式や術語もわからないのです。ですから他人の作品をドウ思っているにしても、それを筆にするという事は出来るだけ差し控えねばならぬ。結局、自分の恥を曝《さら》すに過ぎない……という事が、すぐに考えられるではありませんか。
しかも、そうした私の立場や、乱歩氏との
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