長先生の前に呼出された時のように……。
「……はい……」
「はいではありません。子供の癖に真夜中に起きて家《うち》の中をノソノソ歩きまわるなんて……何て大胆な……恐ろしい娘《こ》でしょう……」
マダムの口調は憎しみにみちみちていた。玲子はモウぽとりぽとりと涙を滴《た》らしながら普通《ただ》さえ狭い肩をすぼめて、わなわなと震えていた。
「はい……あの……あの……泥棒が……」
「……泥棒……何が泥棒です……」
「あの……あの……このごろ……アムールが御飯を食べなくなりましたので……」
マダムの薄い唇に冷笑が浮かんだ。
「ほほほ。利いた風なことを言うものではありません。泥棒が家《うち》の犬を手馴ずけるために何か喰べ物でも遣っていると言うのですか」
「……………」
「ハッキリ返事をなさい」
「……ハ……ハイ……」
「何がハイです。うちのアムールは、そんなに手軽く他所《よそ》の人に馴染《なじ》むような馬鹿犬ではありません。それとも誰か怪しい者がこの家《うち》を狙っている証拠でもありますか」
「……………」
「ハッキリ返事をなさい」
「ハイ……ハ……ハイ……」
「あると言うのですか」
「……………」
「あなたは……どうしてソンナにしぶといのですか」
そういううちにマダムの背後《うしろ》に隠れていた白い肉付きのいい右手が前に出て来た。その手には黒い、短い、皮革《なめしがわ》の鞭《むち》がシナシナと撓《しな》っていた。
玲子は、それを見るなりグッタリと力を失ってしまった。今にも気絶しそうに左手の柱に掴まると、右手で懐中から一通の封筒を取出してマダムの方向へ差出した。ガックリとうなだれて涙をハラハラと流しながら……。
その封筒の文字を、遠くから一目見ると、マダムはハッと顔色を変えた。しかし又すぐに何も知らぬ白々しい顔になって冷笑した。
「ホホホ。神経過敏にも程があるわねえ、この児《こ》は……何です……見せて御覧なさい」
といううちにツカツカと近寄って来てその手紙を引ったくって無造作に封を破った。中味を拡げるとシャンデリアの方向に向けて読み初めた。
玲子は今にも鞭が降り落ちて来るかのように、その前にペタリと坐って両手で顔を蔽うた。
「ホホホ。この手紙がどうしたんですか……何ですって……『弓子、久し振りだなあ、よもや忘れはしまい。俺は十五年前に別れたお前の夫、沼霧匡作《ぬま
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング