終わり]
と腹の中で勘定をつけながら、とりあえずバットを啣《くわ》えてマッチを擦った。
それから数時間の後《のち》、私は今川橋行きの電車の中で、福岡市に二つある新聞の夕刊の市内版を見比べて微笑《ほほえ》んでいた。ほかの新聞には「又も轢死女」という四号|標題《みだし》で、身元不明[#「身元不明」に傍点]の若い女の轢死が五行ばかり報道してあるだけで、姙娠の事実すら書いてないのに反して、私の新聞の方には初号三段抜きの大標題《おおみだし》で、浴衣《ゆかた》を着た早川医学士と、丸髷《まるまげ》に結った時枝ヨシ子の二人が並んで撮った鮮明な写真まで入れて、次のような記事が長々と掲載されていた。
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▼標題《みだし》……「田植連中の環視の中で……姙娠美人の鉄道自殺……けさ十時頃、筥崎駅附近で……相手は九大名うての色魔……女は佐賀県随一の富豪……時枝家の家出娘」……「両親へ詫びに帰る途中……思い迫ったものか……この悲惨事」……
▲記事……(上略)……時枝ヨシ子(二〇)が東京にあこがれて家出をしたのは、四年前の事であったが、何故《なにゆえ》か東京へは行かずに、博多駅で下車し、福岡の知人を便《たよ》って、九大の眼科に看護婦となって入り込んだ。これを聞いたヨシ子の両親は非常に立腹し、直ちに勘当《かんどう》を申し渡したとの事であるが、美人の評判が高いままに、あらゆる誘惑と闘いつつ、無事にこの四年間をつとめて来たものであった。……(中略)……流石《さすが》の色魔、早川医学士(三〇)もヨシ子と関係して、現在の大浜の下宿に同棲するようになってからは、人間が違ったように素行を謹しんだばかりでなく、得意の玉突さえもやめてしまって、ひたすら彼女との恋に精進するように見えた。彼女ヨシ子の早川に対する愛着が、それ以上であった事は云う迄もない。……(中略)……かくて姙娠七箇月になったヨシ子は、早川医学士と、その友人で、兼てから二人の事に就《つ》いて何くれとなく心配していた姉歯某とが、極力制止するをも諾《き》かず、窃《ひそ》かに旅費をこしらえて、単身人眼を避けつつ、佐賀の両親の許に行くべく決心した……(中略)……わざと博多駅より二つ手前の筥崎駅から、佐賀までの赤切符を買ったが、その列車を待ち合わせている間に、色々と身の行く末を考えて極度に運命を悲観したものらしく、遂に自分が乗って行く筈であった下り四二一号列車の轍《わだち》にかかって、かくも無残の……云々……
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ここまで読んで来ると私は、内心大得意の顔を上げて、電車の中を見まわした。当てもない咳払いを一つして反《そ》り身《み》になった。
ところがその翌る日のこと……。
昨日《きのう》取り損ねた九大工学部の記事を、漁《あさ》りなおしに行くべく、今川橋の下宿から、電車で筥崎の終点へ行く途中、医学部前の停留場を通過すると、職業《しょうばい》柄懇意にしている筥崎署の大塚警部が飛び乗って来たので、脛《すね》に傷持つ私はちょっとドキンとさせられた。
大塚警部は私よりも十五六ぐらい年上で、二三度一緒に飲みに行ってからというもの、同輩みたように交際《つきあ》っている。かなり狡《ずる》いところのある男であるが、殆んど空っぽになっている電車の片隅に、私の姿を発見すると、ビックリした表情をしながら、ツカツカと私の横に来て、二十貫目あるという大きな図体をドタリと卸《おろ》した。それからサアベルを股倉に挟んで、帽子を阿弥陀にして赤ッ面《つら》の汗を拭き拭き、頗《すこぶ》る緊張した表情で、内ポケットから新聞を引き出すと、無言のまま、私の鼻の先に突きつけた。見ると私が書いた昨日の夕刊記事の全部に、毒々しい赤線が引いてある。
私はわざとニッコリしてうなずいた。その私の顔を大塚警部はニガリ切って白眼《にら》み据えた。
「困るじゃないか……こんな事をしちゃ……僕等を出し抜いて……」
「フフン、何もしやしない。工学部の正門を這入ろうとしたら、鉄道線路の上に真黒な人ダカリがしていた。行って見たらこの轢死だった……というだけの事さ……」
「女の身元はどうして洗った」
「屍体の左手の中指の先にヨディムチンキが塗ってあった。別段腫れても、傷ついてもいないところを見ると、刺《とげ》か何かを抜いたアトを消毒したものらしいが、ヨディムチンキをそんな風に使う女なら、差し詰め医師の家族か、看護婦だろう」
「……フーム……ソンナモンカナ」
「ところで服装を見ると看護婦は動かぬところだろう。同時に下駄のマークを見ると、早川の下宿の近所で買っている。そこで取りあえず九大の看護婦寄宿舎の名簿を引っくり返してみたら、時枝という有名なシャンが三月《みつき》ばかり前から休んでいる。もしやと思って原籍を調べたら驚いたね。佐賀県|神野《かんの》村の時枝茂左衛門、第五女と来ているじゃないか」
「それだけで見当つけたんか」
「失敬な……憚《はばか》りながら君等みたいな見込捜索はやらないよ。体格検査簿にチャンと書いてあるんだ。身長五尺二寸、体量十四貫七百というのが昨年の秋の事だ。ちょうど屍体と見合っているじゃないか。姙娠七箇月は無論当てズッポウだが、胎児の動き工合から考えても多分三月か四月目から休んだ事になるだろうよ……」
「……フーン……よく知っとるんだナア、何でも……」
「大学の外交記者を半年やれあ、大抵の医者は烟《けむ》に捲けるぜ。……しかし念のために、吾輩を崇拝している二三の看護婦に当って見ると、内科の早川さんと正月頃からコレコレと云うんだ。早川が寺山博士のお気に入りで、みんな反感を持っている事までわかった。どうだい。……恐れ入ったろう……」
「フーム、それじゃ写真はどうして手に入れた」
「……訊問するんなら署でやってくれ給え、絶対に白状しないから」
「アハハハハ。イヤ、実は非常に参考になるからヨ。……腹を立ててくれては困るが……正直のところを云うとこの記事はソノ……素人が見たらこれでええかも知れんがネ。僕等の立場から見ると不思議な事だらけなんだ」
「ウン。そんなら云おう。その写真はやっぱり看護婦仲間の噂から手繰《たぐ》り出したのさ。アノ恵比須通りの写真屋には、大学の看護婦がよく行くからね。二人で秘密《ないしょ》で撮ったのを見るかドウかしたんだろう。そんな写真があるという事をチラリと聞いたから、試しに当って見ると図星だったのだ。受取人は柳川ヨシエという偽名でネ。チャンと種板まで取ってあった……そん時の嬉しさったらなかったよ」
「いかにもナア。……それじゃアノ姉歯という産婆学校長の医学士が、一生懸命で二人の世話を焼いとる事実は、どうして探り出したんか」
「内科の医局での話さ。姉歯という産婆学校長が、この頃よく内科の医局へ遊びに来て、早川とヒソヒソ話をする。何でもヨシ子がこの頃急に佐賀へ帰ると云って駄々《だだ》をこね出したので、二人が困っているという噂があるんだ。……ドウダイ……事実とピッタリ一致するじゃないか」
「相変らず素早いんだね君は……」
「これ位はお茶の子さ。それよりも今度はアベコベに訊問するが、アノ姉歯という男が、産婆学校長の医学士だという事を君はどうして知っている。新聞にはわざと伏せておいたのに……」
「ソ……そいつは勘弁してくれ」
と大塚警部は眼を丸くしながら、慌てて手を振って飛び退《の》いた。苦笑しいしいハンカチで顔をコスリ廻わした。私は儼然《げんぜん》として坐り直した。
「ウム……君がその了簡ならこっちにも考えがある」
「……マ……マ……待ってくれ。考えるから……」
「考えるまでもないだろう。僕は今日まで一度も君等の仕事の邪魔をしたおぼえはない。秘密は秘密でチャンと守っているし、握ったタネでも君等の方へ先に知らせた事さえある。現に今だって……」
「イヤ。それは重々……」
「まあ聞き給え……現に今だって、自分の書いた記事を肯定しているじゃないか。本当を云うと編輯長以外の人間には、自分の書いた記事の内容を絶対に知らせないのが、新聞記者仲間の不文律なんだぜ、況《いわ》んやその記事を取った筋道まで割って……」
「イヤ。それはわかっとる。重々感謝しとる……」
「感謝してもらわなくともいいから信用してもらいたいね。姉歯という医学士が、善玉か悪玉かぐらい話してくれたって……」
「ウン、話そう」
大塚警部は又汗を拭いた。帽子を冠り直して一層|身体《からだ》をスリ寄せた。小さな眼をキラキラ光らして声を落した。
「……エエカ。こいつが曝露《ばれ》たら署員《ぶか》が承知せん話じゃがな……姉歯という奴は早川よりも上手《うわて》の悪玉なんだ。エエカ……早川をそそのかして、女を膨《ふく》らましては自分で引き受けて、相手の親から金を絞るのを、片手間の商売にしとるんだ。つまり手切金と、堕胎料と、二重に取って、早川にはイクラも廻わさないらしいのだ。僕の管轄でもかなりの被害者があると見えて、時々猛烈な事を書いた投書が来る」
「ありがとう、それで何もかもわかった。ヨシ子が駄々をこねて、単身《ひとり》で佐賀へ行きかけたのは、どうも少々オカシイと思ったが……そこいらの消息を薄々感付いたんだナ」
「ウン。それに違いないのだ。ちょうど姉歯早川組の奸計《かんけい》と、両親の勘当《かんどう》とで、板挟みになって死んだ訳だナ」
「書きてえナア畜生……夕刊に……大受けに受けるんだがナア……」
「イカンイカン。まだ絶対に新聞に書いちゃいかん」
「アハハハハハ書きゃしないよ。……しかし君等はナゼ姉歯をフン縛らない」
大塚警部は苦笑した。二三本|白髪《しらが》の交《まじ》った赤い鬚を、自烈度《じれった》そうにひねりまわした。
「手証《てしょう》が上らないからさ。あの姉歯という奴は、大学の婦人科に居《お》った時分から、主任教授に化けて大学前の旅館に乗り込んで、姙婦を診察して金を取った形跡がある。今開いとる産婆学校も、生徒は三四人しか居らんので、内実は堕胎専門に違いないと睨んどるんじゃが、姉歯の奴トテモ敏捷《はしっこ》くて、頭が良過ぎて手におえん。噂や投書で縛れるものなら縛って見よという準備を、チャンとしとるに違いないのだ」
「フーム。この辺の医者の摺《す》れっ枯《か》らしにしてはチット出来過ぎているな」
「そうかも知れん。殊に今度の事件などは、相手が佐賀一の金満家と来とるから、姉歯も腕に縒《より》をかけとるという投書があった。むろん十が十まで当てにはならんが、彼奴《きゃつ》のやりそうな事だと思うて前から睨んではおったんだ」
「投書の出所《でどころ》はわからないか」
「ハッキリとはわからんが、大学部内の奴の仕事という事はアラカタ見当がついとる。早川の今の下宿を世話した奴が、姉歯だという事もチャンとわかっとる。何にしてもヨシ子が子供さえ生めば、姉歯の奴、本仕事にかかるに違いない。二人をかくまっておいて、時枝のおやじ[#「おやじ」に傍点]を脅喝《いたぶ》ろうという寸法だ。だからその時に佐賀署と連絡を取って、ネタを押えてフン縛ろうと思うておったのを、スッカリ打《ぶ》ち毀《こわ》されて弱っとるところだ」
「アハハハハ、大切《だいじ》の玉が死んだからナ」
「ソ……そうじゃない。君がこの記事を書いたからサ。実に乱暴だよ君は……」
「別に乱暴な事は一つも書いていないじゃないか。事実か事実でないかは、色んな話をきいているうちに直覚的にわかるからね。第一この写真が一切の事実を裏書きしているじゃないか」
「そうかも知れん……が、しかしこの記事は軽率だよ」
「怪《け》しからん。事実と違うところでもあるのか」
「……大ありだ……」
「エッ……」
「しかも今のところでは全然事実無根だ」
私はドキンとして飛び上りそうになった。……早川に直接当らなかったのが手落ちだったかナ……と思うと、立っても居てもいられないような気持ちになった。大塚警部も困惑した顔になって、サアベルの頭をヤケに押し廻したが、やがて私の顔とスレスレに赤い顔を近付けると、酒臭いにおいをプーンとさした。
「実は僕も弱っ
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