昨年の春にオシノという高齢の祖母と、若い嫁女《よめじょ》のツヤ子を連れて、この町内の現在の家に引越して来た者であるが、夫婦仲は云うまでもなく、オシノ婆さんと嫁女のオツヤとの仲が、親身の間柄でも珍らしいくらい睦まじいので、近所の評判になっていた。敬吾がつとめに出かけた留守中に、嫁女のツヤ子がオシノ婆さんの手を引いて、程近い八幡様の境内を散歩させたり、お湯に連れて行く光景などを、近くの人はよく見かけた。敬吾が一時やめていた晩酌を、オシノ婆さんが嫁女にすすめて、無理に又はじめさせたというような噂までも伝わった。
 ところがそのうちに嫁女が姙娠したことがわかると、オシノ婆さんは八幡様へ参詣《さんけい》しなくなった。
「お前が転びでもすると私が敬吾に申訳けがない。孩児《ややこ》の着物も私が縫うてやるけに、成るだけ無理をせんようにしなさい。その代りキット男の子を生みなさいよ」
 と寝ても醒めても云っていた。嫁女も素直に笑いながら、
「ハイ……キット男の子を生みます」
 と請け合っている……という話を、亭主の敬吾が煙草を買いに来たついでに、お神さんに話して聞かせた。
 するとそのうちに嫁女がチブスに
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