をばいうと思うた」
「ところでそのあとからアイツ共が歌《うと》うた歌は何かいね。オオチニ風琴鳴らいて……」
「花嫁御のお化粧の広告じゃなかったかねえ。雪よりも白くせよなあ……てクタビレたような歌じゃったが……」
「ウム。俺あ西洋洗濯の宣伝かと思うた」
「立てて云うけに俺《おら》あ立って聞きおったら、気の遠うなってグラグラして来た。今《ま》一時間も立っとったなら俺《おら》あ仁三郎より先に天国へ登っとる」
「うむ。長かったのう。あの歌をば聞きおる中《うち》に俺あ、悲あしゅう、情のうなった。この間死んだ嬶《かかあ》が、真夜中になると眠った儘《なり》にアゲナ調子で長い長い屁をば放《こ》きよったが」
「死んだ嬶よりも俺《おら》あ、あれを聴きよるうちに仁三郎がクタビレて死にあしめえかと思うてヒヤヒヤした。歌が済んでからミンナ坐った時にゃホッとした」
「あのあとの御祈祷は面白かったね」
「ウム。面白いといえば面白い。馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。(以下|声色《こわいろ》)ああら、我等の兄弟よ! 神様の思召《おぼしめし》に依りまして、チンプンカンプン様の顎タンを結ばれました事は――越中褌《えっちゅうべこ》のアテが外れた時と全く全く同じように、ありがたい、尊い、勿体《もったい》ない、嬉しい嬉しい御恵みで――ありや――す……アーメン。と来たね」
「ようよう、うまいうまい貴様、魚屋よりもキリシタンの坊主になれ、どれ位人が助かるか判らん。あの異人の坊主の云う事を聞きよる内に俺《おら》あ死にたいような気持になったもんじゃが、今の貴様の御祈祷を聞いたりゃ、スウーとしてヤタラに目出度《めでと》うなった。あーら目出度《めでた》や五十六億七千万歳。鶴亀鶴亀」
「あの黒い鬚を生《は》やいた奴は日本人じゃろうか」
「うん、あれがあの女のキリシタンの亭主らしい」
「あいつが篠崎の耳に口ば附けてあなたはこの婦人を愛しますかと云うた時には、俺は死ぬほどおかしかったぞ」
「うん。俺《おら》もマチットで我慢しとった屁をば屁放《へひ》り出すところじゃった。あん時ばっかりは……」
「花嫁御も娘御も泣きござったなあ――」
「そらあ悲しかろう。いくら連れ添うても十日と保《も》たん婿どんじゃけんになあ。太閤記の十段目ぐらいの話じゃなか」
「仁三郎が黙って合点合点する内に、夫婦で指輪《いびがね》ば、取り換えたが、あの時も、可笑《おか》しかったぞ」
「うん。仁三郎の指は、平生でも大きい上に、腫れ上っとるけに指輪《いびがね》も三十五円も出いて○○の鉢巻位の奴をば作っとる。それに花嫁御の分は亦《また》、並外れて小さいけに取り換えてもアパアパどころじゃない。俺あ、それば見て考えよると可笑《おか》しゅうて可笑《おか》しゅうてビッショリ汗かいた」
「誰か知らんが、その後の御詠歌のところで大きな声でアクビしたぞ」
「あれは俺たい。あの御詠歌の文句ばっかりは判らんじゃった。恵比須《えべす》様が味噌漉《みそこし》でテンプラをば、すくうて天井へ上げようとした。死ぬる迄可愛がろうとしたバッテン天婦羅《てんぷら》が天井へ行かんちうて逃げた……なんて聞けば聞く程馬鹿らしいけに俺がそうっとアクビしたところがそいつが寝ている篠崎に伝染《うつ》って、これもそうっとアクビしたけに、俺《おら》あ良《い》い事したと思うた。病人も嘸《さぞ》アクビしたかったろうと思うてな――」
「何時間かかったろうかい」
「俺あ時計バッカリ見よった、二時間と五分かかったが、その最後《しまい》の五分間の長かった事。停車場で一時間汽車ば待っとる位長かった」
「うん。何《なん》にせい珍らしいものば見た」
「仁三郎も途方もない嬶《かか》アば持ったのう」
「仁三郎はやっぱりよう考えとるバイ。達者な内にあげな嬶アばもろうて、あげな歌バッカリ毎日毎晩歌わにゃならんちうたなら俺でも考える」
「第一魚市場の魚が腐る」
「アハハハッ……人間でも腐る。俺は聞きよる内に腰から下の方が在るか無いか判らんごとなった、生命《いのち》にゃかえられんけに引っくり返ってやろうかと何遍思うたか知れん」
「俺は袴の下に枕を敷いとったが、あのオチニの風琴の音をば聞きよる内に、自分の首が段々細うなって、水飴《みずあめ》のごとダラアと前に落ちようとするけに、元の肩の上へ引き戻し引き戻ししよったらその中《うち》に済んだけに、思わずアーメンと云うたら、涎《よだれ》がダラダラと袴へ落ちた、まあだ変な気持がする」
「ああ非道《ひど》い目に遭うた。どこかで一杯飲み直そうじゃないや」
「ウアイー賛成! 賛成! 助かりや助かりや、有難や有難や、勿体なや、サンタ・マリア……一丁テレスコ天上界。八百屋の人参、牛蒡《ごぼう》え――」
「踊るな馬鹿!」
「アーメン、ソーメン、トコロテン。スッテンテレツク天狗《てんぐ》の面《めん》か。アハハハハ。鶴亀鶴亀」
以て当時の光景を察すべしである。
而《しか》も、こうした儀式が済んだ後《のち》牧師等が引上げると、一座が急にシーンとなった。後には可憐な母親と娘が仁三郎の枕許に坐ってシクシクと泣くばかりになった。
その時に湊屋仁三郎は、ホンの少しばかり腫れぼったい目を開いて、左右を見た。下座に居流れていた市場連中を見て、泣くようにシカめた顔で笑って見せた。
「何チウ妙なモンヤ」
一同が腹をかかえて笑い転げたというが、そうしたサ中にも仁三郎一流のヒョウキンな批判を忘れないところが正に古今独歩と云うべきであろう。
ところが話は、未だ済んでいない。仁三郎の珍最期はこれからである。しかも、仁三郎が完全に呼吸《いき》を引取ったアトの事で、御本尊の仁三郎のお陀仏自身にすら思い付かない……しかも仁三郎一流の専売特許式珍劇がオッ初まって、オール博多の人口に膾炙《かいしゃ》する事になったのだから痛快中の痛快事である。
その仁三郎が係医《かかりい》の予言の通り結婚後キッチリ十日目に死んだ。
もちろんその時には、何の変哲もなかった。一同が眼をしばたたいて快人篠崎仁三郎の一代を惜しんだだけの事であったがここに困った事には、一旦、天主教に入った以上、葬式もやはり、大名町の赤煉瓦の中で執行せなければならぬというので、市場連中は相当ウンザリさせられたものらしい。
然し仕方がない。何にしろ博多ッ子の中の博多ッ子、湊屋仁三郎の葬式じゃけに、一ツ思い切って立派にしてやれというので、生魚、青物両市場の大問屋全部が懸命の力瘤《ちからこぶ》を入れた。
「相手がアーメンと思うと、いくら力瘤を入れても、入れ甲斐がないような気がして、チーット力瘤を入れ過ぎたようです、とうとう大椿事《おおごと》になりましてなあ――」
とその時の有志の一人が語った。
当日は予想以上の盛会であった。
「仁三郎さんが、ヤソ教で葬式されさっしゃるげな、天国へ行かっしゃるげなけに、死んでも亦と会われんかも知れん」
というので、知るも知らぬも集って来た結果会衆は会堂に溢れ会堂を取り囲み、往来に溢れるという素敵な人気であった。
同時に、その時の葬式が亦、師父ジョリーさんの全幅を傾けて計画した天主教本格の盛大、長時間のものであったらしい。但し今度は会堂の中が椅子席だったので、重立った連中は、大部分脚のシビレを助かったというが、それでも中央の通路に突立っていた者は二三人引くり返ったくらい盛大荘重なものがあったという。
そのうちに正午から夕方迄かかって、やっと葬式が済んだので会衆一同は、思わずホッと溜息をした。その音が、ゴーッと堂内に溢れて、急行列車の音に似ていたというが、マサカそれ程でもなかったろう。
そこへ棺担ぎが出て来て棺桶に太い棒を通した。そのまま、市営の火葬場へ持って行こうとすると、一番前の椅子に腰をかけていた市場の親友二三人が何事かタマリかねたらしく立ち上って馳けよった。
「……チョ……一寸《ちょっと》待ちなさい。こげな葬式で仁三郎が成仏出来るもんじゃない。ふうたらぬるい。もう辛棒が出来ん。カンニン袋の緒《お》が切れた。一寸貸しなさい。私達が担いでやるけに……オイみんな来い、ついでに前の花輪をば、二ツ三ツ借りて来い」
魚市場だけに乱暴者が揃っていたからたまらない。得たりや応という中《うち》にテンデに羽織をぬいで棺桶を担ぎ上げた。牧師連中が青い目をグリつかせている前で花輪を二ツ三ツ引ったくるとその勢で群衆を押し分けて、
「ウアーイ。ワッショイ、ワッショイ」
と表の往来へ走り出した、生魚《さかな》を陸上《あげ》るのと、おんなじ呼吸でどこを当てともなくエッサエッサと走り出したので消防組と市場の体験のある者以外は皆バタバタと落伍してアトにはイキのいいピンピンした連中ばかりが残って了《しま》った。
そこで、ヤッと棺桶が立ち止った。
「オーイ、みんな揃うたかーア」
「後《あと》から二三人走って来よーる」
「ああ草臥《くたぶ》れた。恐ろしい糞袋《くそぶくろ》の重たい仏様じゃね――。向うの酒屋で一杯やろうか」
「オッと来たり、その棺桶は門口へ降《おろ》いとけ。上から花輪をば、のせかけとけあ、後《おく》れた奴の目印になろう。盗む者はあるめえ」
一同はその居酒屋へなだれ込んで、テンデにコップや桝を傾けてグイグイと景気を付けた。
「サアサアみんな手を貸せ手を貸せ。ヨーイシャンシャン、ヨーイ、シャンシャンウアーイ」
と一本入れた一同は、又もや棺桶を担ぎ上げて、人通りを押分け始めた。すると上機嫌で先棒を担いでいた湊屋の若い奴が向う鉢巻で長持唄を歌い始めた。
「アーエー女郎は博多の――え――柳町ちゃ――エエ」
「柳町へいこうえ」
「馬鹿! 仏様担いで柳町へ行きゃあ花魁《おいらん》の顔見ん内に懲役に行くぞ」
「ああ、そうか」
「とりあえずお寺へ行こうお寺へ行こう」
「仁三郎は何宗かい」
「仁三郎が宗旨を構うかいか」
「そんなら成丈《なるた》け景気のええお寺へ行こう」
「あッ。向うで太鼓をば敲《たた》きよる。あすこが良かろう」
「よし来た。行け行け。アーリャアーリャアーリャ。馬じゃ馬じゃ馬じゃ馬じゃい」
「エート。モシモシ和尚《おしょう》さんえ和尚さんえ。一寸すみませんがア……お葬式の色直しイ。裏を返せばエー」
「いらん事云うな、俺が談判して来る」
博多|蓮池《はすいけ》町○○寺の和尚は捌《さば》けた坊主であったらしい。
「どうも後口《あとくち》が悪うて悪うてまあだムカムカします。一ツ景気のえいところで一ツコキつけて、つかあさい」
という交渉を心よく引受けた。直《すぐ》に中僧小僧をかり集めて本堂の正面に棺を据え、香を焚《た》いて朗かに合唱し始めた。
「我昔所造諸悪業《がしゃくしょぞうしょあくごう》――一切我今皆懺悔《いっさいがこんかいざんげ》エエ――」
まだ面喰っている小僧が棒を取り上げて勢よくブッ附けた。
「グワ――アアアンンン……」
一同グッタリと頭を下げた。
「あッ。あああ……これで、ようよう元手《もと》取った」
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日第1刷発行
底本の親本:「近世快人伝」黒白書房
1935(昭和10)年12月20日発行
初出:「新青年」
1935(昭和10)年4月号〜10月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2006年7月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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