火を点《つ》けた。何をするのかと思うと、その蝋涙《ろうるい》を中央の通路のマン中にポタポタと垂らしてシッカリとオッ立てた。驚いて見ているうちに、今度は腰から煤竹筒《すすだけづつ》の汚ない煙草入を出して、その蝋燭の火で美味《おいし》そうに何服も何服も刻煙草《きざみたばこ》を吸うのであったが、まだ発車していないので、荷物なんかを抱えて通抜けようとする奴なんかが在ると、翁が殺人狂じみた物凄い眼を上げて、ジロジロと睨むので、一人残らず引返して出て行く。痛快にも傍若無人にもお話にならない。見るに見かねた筆者が、
「マッチならコチラに在りますよ」
と云ううちに煙草を吸い終った翁は、蝋燭の火を蝋涙と一緒に振切って、古新聞紙に包んで袂に入れた。蝋涙を引っかけられた向側の席の人が慌ててマントの袖《そで》を揉んでいたが、翁は見向きもしなかった。
「マッチや線香で吸うと煙草が美味《おい》しゅうない。燃え火で吸うのが一番|美味《おいし》いけになあ」
奈良原翁の味覚が、そこまで発達している事に気附かなかった筆者は全く痛み入ってしまった。この塩梅《あんばい》では列車に放火して煙草を吸いかねないかも知れない。
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