ろうと思うが、筆者の母親の生家に不幸のあった時のこと、仏に旧交のあった奈良原到が、どこから借りて来たものか上下チグハグの紋服に袴《はかま》を穿いて悔みに来た。
「ほんの心持だけ……」
 と皆に挨拶をして香奠《こうでん》と書いた白紙《しらかみ》の包みを仏前に供え恭《うやうや》しく礼拝して帰ったので皆顔を見合わせた。一体あの貧乏人がイクラ包んで来たのだろう……というので打寄って開いてみると中には何も這入っていなかった。正真正銘の白紙だけだったので皆抱腹絶倒した。
 しかし心ある二三の人は涙を浮べて感心した。
「奈良原到は流石《さすが》に黒田武士じゃ、普通の奴なら貧乏を恥じて、挨拶にも来ぬところじゃが……」

 生存している老看守某の話によると、奈良原到の須崎典獄時代には、囚人の奈良原を恐るる事、想像の外であったという。ドンナに兇猛な囚人でも、奈良原典獄が佩剣《はいけん》を押えて、
「その縄を解け。こっちへ連れて来い」
 と云って睨み付けると、今にも斬られそうな殺気に打たれたらしい。眼を白くして縮み上ったという。
 或る夜のこと、死刑にする筈の四人の囚人が、破獄したという通知が来たので、奈良
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