わかると、流石《さすが》に眠る者が一人もなくなった。毎日毎晩、今か今かとその時機を待っているうちに或る朝の事、霜の真白い、月の白い営庭の向うの獄舎へ提灯が近付いてゴトゴト人声がし始めたので、素破《すわ》こそと皆|蹶起《けっき》して正座し、その方向に向って両手を支えた。メソメソと泣出した少年も居た。
 そのうちに四五人の人影が固まって向うの獄舎から出て来て広場の真中あたりまで来たと思うと、その中でも武部先生らしい一人がピッタリと立佇まって四方を見まわした。少年連のいる獄舎の位置を心探しにしている様子であったが、忽ち雄獅子の吼《ほ》えるような颯爽《さっそう》たる声で、天も響けと絶叫した。
「行くぞオォ――オオオ――」
 健児社の健児十六名。思わず獄舎の床に平伏《ひれふ》して顔を上げ得なかった。オイオイ声を立てて泣出した者も在ったという。
「あれが先生の声の聞き納めじゃったが、今でも骨の髄まで泌み透っていて、忘れようにも忘れられん。あの声は今日《こんにち》まで自分《わし》の臓腑《はらわた》の腐り止めになっている。貧乏というものは辛労《きつ》いもので、妻子が飢え死によるのを見ると気に入らん奴の
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