無二の親友になったものだという。
ちょうどその頃が西南戦争の直前であった。維新後に於ける物情の最も騒然たる時代であった。
既掲、頭山、杉山の項にも述べた通り、筑前藩の志士は維新の鴻業《こうぎょう》後、筑前閥を作る事が出来なかった。従って不平士族の数は他地方に優《まさ》るとも劣らなかった筈である。
そんな連中は有為果敢の材を抱きながら官途に就く事が出来ず鬱勃たる壮志を抱いたまま明治政府を掌握している薩長土肥の横暴振り、名利の争奪振りを横目に睨んでいた。尊王攘夷を標榜して徳川を倒しておきながら、サテ政権を握ると同時に攘夷どころか、国体どころか、一も西洋二も西洋と夷敵《いてき》紅毛人の前にペコペコして洋服を着、洋食を喰《くら》って、アラン限りブルジョア根性を発揮し、屈辱的条約をドシドシ結びながら、恬然《てんぜん》として徳川十五代将軍と肩を並べている大官連の厚顔無恥振りに眥《まなじり》を決していた。そのうちに福岡にも鎮台が設けられて、町人百姓に洋服を着せた兵隊が雲集し、チャルメラじみた喇叭《ラッパ》を鳴らして干鰯《ほしいわし》の行列じみた調練が始まった。
その頃、士族の下《した》ッ端
前へ
次へ
全180ページ中61ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング