、快人と見えたのだから仕方がない。世間の所謂快人傑士が、その足下《あしもと》にも寄り付けない奇行快動ぶりに、測り知られぬ平々凡々な先生の、人間性の偉大さを感じて、この八十幾歳の好々爺が心から好きになってしまったのだから致し方がない。そうして是非とも現代のハイカラ諸君に、このお爺さんを紹介して、諸君の神経衰弱を一挙に吹飛ばしてみたくなったのだから止むを得ない。
元来、頭山先生が、この新青年に、きょうが日まで顔を出さないのが間違っている。それも頭山先生が時代遅れのせいではない。却《かえ》って新青年誌の方が頭山老人の思想よりも立ち遅れている事を筆者は確信しているのだから是非もない。ここに先生の許しを得て、逸話を御披露する。
頭山満《とうやまみつる》翁の逸話といったら恐らく、浜の真砂《まさご》の数限りもあるまい。頭山満翁はさながらに逸話を作りに生まれて来たようなもので、その奇行快動ぶりといったら天下周知の事実と云っても憚らない位である。
しかし仔細に点検して来ると、その鬼神も端倪《たんげい》すべからざる痛快的逸話の中にも牢乎《ろうこ》として動かすべからざる翁一流の信念、天性の一貫している
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