満翁は超然として、一依旧様《いちいきゅうよう》、金銭、名誉なんどは勿論の事、持って生れた忠君愛国の一念以外のものは、数限りもない乾分《こぶん》、崇拝者、又は頭山満の沽券《こけん》と雖も、往来の古|草鞋《わらじ》ぐらいにしか考えていないらしい。否《いな》現在の頭山満翁は既に浪人界の巨頭なぞいう俗な敬称を超越している。そこいらにイクラでも居る好々爺ぐらいにしか自分自身を考えていないらしい。
嘗て筆者は数寄屋橋の何とか治療の病院に通う翁の自動車に同乗させてもらったことがある。その時に筆者は卒然として問うた。
「どこか、お悪いのですか」
「ウム。修繕《そそく》りよるとたい。何かの役に立つかも知れんと思うて……」
その語気に含まれた老人らしい謙遜さは、今でも天籟《てんらい》の如く筆者の耳に残っている。
以下は筆者が直接翁から聞いた話である。
「世の中で一番恐ろしいものは嬶《かかあ》に正直者じゃ。いつでも本気じゃけにのう」
「四五十年も前の事じゃった。友達の宮川太一郎が遣って来て、俺に弁護士になれと忠告しおった。これからは権利義務の世の中になって来るけに、法律を勉強して弁護士になれと云うの
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